村で“たったひとり”のITコンサルタントとして活動!
6年前から山梨県小菅村という人口が約720人の村に移住し、村で唯一のITコンサルタントとして村民のパソコンの修理から村の企業のホームページ製作、経営コンサルティングまでを幅広く手掛けています。
また村内の仕事のみならず、都内大手企業や山梨県からの協業事業、大学授業の受入れも行い、小菅村に関する10件以上のプロジェクトを推進しています。
さらに、近所のおばあちゃんから「森くん、洗濯機が動かないから直して!」なんて依頼されたりもします。(笑)
ということで、ある意味なんでも屋ですが、
顔が見える誰かの役に立つ喜びを感じながら日々頑張っています。
激務、住人の孤独死、虚無感・・・
「このままでいいのか?」
大学院を卒業し、
新卒で入った会社は、銀行系のシステムインテグレーターの会社でした。
そこでシステムエンジニアとして働いていたんです。
最初はいい上司にも恵まれ、日々新しい知識を覚えて日本を代表するような会社のシステム開発に携わることができて、とてもやりがいを感じていました。
しかし、上司が変わって状況が一変しました…。
とても細かく厳しい上司で、
「本当にこの計画で大丈夫なのか?もう一回直せ」
「こんなんじゃ甘いだろ?もう一回だ」
と、これまである程度自由にできていた仕事が、ガチガチに縛られるようになりました。
お客様のためのサービスをつくるというよりも、
上司の了解を得るための仕事に追われる毎日。
仕事に価値を感じなくなり、激務も重なり残業時間も膨大になってきたとき、体調を崩してしまったんです。
「自分は誰のために仕事しているんだろう?」
「このままやっていっていいのか・・・?」
そんな思いを抱くようになっていました。
そんなとき、
一つの事件が起きたんです。
同じマンションに住む人の孤独死でした。
ある日突然マンションの管理会社から電話がきて、
「なんだなんだ!?」
と思っていたら、同じマンションの一つ上の部屋で、
人が亡くなっていたと報告を受けたんです。
しかも死亡推定日時は、2か月前。
60日以上の間、
私も含め、誰もその人の死に気づかなかったんです。
誰からも気づかれないままの孤独な死…。
誰のためかわからないままの仕事…。
都会で暮らす虚無感を強く感じていたときでした。
幸せって何だろう?
模索の中で見つけたソーシャルビジネス
そこで、
本当の幸せって何だろう?もっと他の生き方もあるんじゃないか?とさまざまな本を手に取っていました。
その中で、「幸せの新しいものさし」という本に出会ったんです。
この本の中には、
不況や政治の混乱で多くの人が閉塞感を感じている中でも、
時代の変化を前向きにとらえ、新しい「価値観(ものさし)」で豊かさを手にしている人たちを紹介していました。
そこでとても魅力的に感じた方のビジネスが、
「ソーシャルビジネス」と言われることを知り、社会に貢献する仕事ってやりがいがありそうだなって興味を持ったんです。
いろいろ調べていく中で、
社会起業大学を見つけました。
最初は他のビジネススクールも検討していたのですが、
体験授業に参加して、「ここだ」と思ったんです。
その日の社会起業大学の体験授業では、
第4期生の川初さんという方がご自身の実弟が15年引きこもっていた経験から考え出した、
「ひきこもり」でもいいじゃないか!
引きこもりながらでも生活が出来る仕組みを作る!
というプランを発表していました。
「そんな考え方があるのか!?」と
びっくりしたのを今でも覚えています。
自分もこんなソーシャルビジネスを考えてみたいと思って入学を決めました。
授業はとても新鮮でした。
会社で仕事をしているときは、プロジェクトのスケジュールに追われひたすらプログラミングをする毎日でした。そして、月末になると給料が振り込まれている。それに何の疑問も感じることはありませんでした。
しかし、
授業では、様々な事例を通じて
この会社のビジネスモデルは何か?
どこがキャッシュポイントなのか?
といった今まで意識もしなかったビジネスの背景や
持続可能にするための戦略というものを学ぶことができました。
特にここで学んだ、「オンリーワン戦略」は、まさに今の働き方に大きく影響しています。
また、様々な社会起業家の方が事業について説明してくれる、
「ソーシャルアントレプレナーシップ論」という授業がとても参考になりました。
私が一番影響を受けたのは、
当時講師として来てくれた「NPO法人えがおつなげて」の曽根原さんの講演でした。
このNPOは、「都市と農村をつなぎ続けます」というコンセプトのもと、都市の企業と農場を運営したり、農村起業を促進するようなスクールを運営したりしていました。
都会での仕事や人の繋がりの在り方に疑問を感じていた私にとっては、とても魅力的な取り組みに見えました。
これをきっかけに、私は地方で働くことに興味を持ち、スタディツアーに参加してみたりNPOのインターンをしてみたりと行動を始めました。そんな中でたまたま「地域おこし協力隊フェア」に参加した際に、今住んでいる小菅村と出会い魅力を感じて、地域おこし協力隊として移住することになったんです。
地域おこし協力隊は、1~3年の間、特定の地域の行政やNPOなどの仕事を手伝いながら、その地域への定住や就職等を検討することができる制度です。
すぐに小菅村に魅力を感じ、協力隊期間終了後もこの村で生活したいと思っていた私は、
「自分は何のオンリーワンになれるのか!?」
ということを常に考えていました。
そう。社会起業大学で学んだオンリーワン戦略です。
どんなに地域の人との繋がりができてもその後ちゃんとその地域で役に立ち、稼ぐことが出来なければ意味がありません。
村の現状を把握していく中で一つの事実を知りました。
東京にはITの会社が沢山あり私が勤めていた会社だけでも1,000人以上のシステムエンジニアがいましたが、小菅村には一人もいなかったのです。
「これだ!」
と思いました。
パソコンサポート。村民無料!
地元企業IT相談一律4000円!
こうして、まずは自分を知ってもらうようにしました。
どんな小さな相談でも駆けつけて、信頼を蓄積していきました。
そうしているうちに、
「森くん、ホームページもつくれるの?」
「森くん、採用の手伝いもしてくれない?」
「森くん、うちの業務ってもっと効率化できないかな?」
とさまざまな相談をもらえるようになったんです。
社会起業大学は、
現状を変えるための”きっかけ”に満ちている
僕みたいに、これまでの働き方に疑問を持ち、「何か現状に衝撃を与えないと」と思っているような方には変化の”きっかけ”に満ちている場だと思います。
実際に起業している卒業生や、活躍している社会起業家の方の話を聞く機会が多く、サラリーマンをやっているだけでは出会えない社会起業家たちの話を聞けることは本当に役に立ちました。
特に距離が近いのが良かったです。
他の起業家セミナーにいくと100人を超えるような会場で、成功を収めた人の講演を聴くという感じでしたが、社会起業大学は少人数で話が聴けて質疑応答の時間も長く深い話を聞くことができました。
また、自分で事業計画を創っていくというのが何より力になりました。
社会起業大学では、与えられたケーススタディを解くのではなく、自分自身の事業計画を創っていくことが必須として課せられます。
授業で学ぶ様々な戦略やフレームワークを自分だったらどう活用できるだろうか。と考えて計画書に落とし込んでいく作業は、最初は苦しく全く書けなくて大変ですが、何度も何度もフィードバックをもらって書き直していく中で、自分の考えがまとまってきます。事業を考えるということが身になって行くんですよね。
私が今小菅村で様々なプロジェクトにかかわらせていただけているのもこの時の経験が本当に役に立っています。
生き方のグラデーションを創っていきたい。
最近、地方移住がある種のブームになっていて、都市と田舎という二項対立の構造が浮き立っているように見えます。
ですが、本当は「都市」か「田舎」かという対立構造じゃなくてもっと多様な生き方があっていいと思うんですよね。田舎には田舎の良さがあり、都市には都市の良さがある。
どちらを選ぶではなく、自分らしい生き方を考えて、それぞれの良さをうまく使う。そんな生き方のグラデーションを創っていけたらと思っています。
小菅村は、都心まで約2時間で出られますし、私自身週に1回ぐらいは東京で仕事をしています。その意味で小菅村は新しい生き方のモデルになりうる地域なんじゃないかと思っているんです。
皆さんも一緒に新しい生き方にチャレンジしてみませんか?
小菅村はいつでも案内しますので、ぜひ遊びに来てください!
【無料オンライン動画プログラム】
社会起業家へのロードマップ
アイディア出し・事業計画・マネタイズ...
これでならゼロから実践まで“着実”に進める
自分らしさ、社会課題、ビジネスを重ね合わせ、それぞれのフィールドで社会起業家として活躍する卒業生をご紹介しています。