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【 ROCKY通信 】第165回 1996年夏 東大駒場での最高に幸せな極貧生活

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【 ROCKY通信 】第165回 1996年夏 東大駒場での最高に幸せな極貧生活

東大駒場キャンパス中寮玄関 1996年

 

今日は先週のメールラジオ“Hi Rocky!”でも少しだけ触れた、1996年春から夏にかけての東大駒場キャンパスでの珍道中について記憶を頼りに追記してみたい。笑

 

米国留学、現地でのフードビジネス修行を終えて意気揚々と帰国したのが1996年。帰国時の所持金は30万。まずは住まい探しをしたのだが、無職なので不動産屋は誰も相手にしてくれなかった。どこの組織にも属していないフーテンもどきは、信用してもらえないのだ。これは全く想定外だった。仕方なく当時の妻と赤羽の叔父宅に転がり込んだ。一月くらい世話になったが、さすがに肩身が狭い。叔父夫婦も困っていた。

当時東大の先生だった叔父が「ヒロキちゃん、駒場に中寮という学生寮があって確か百円で泊まれると聞いたことがあるよ」とアドバイスをされた。早速行ってみた。戦前の建物じゃないかというような朽ちかけの建物。恐る恐る中に入ってみると確かに宿泊スペースがあった。そこは畳敷き30畳くらいのいわゆるタコ部屋で、毛布一枚渡されて雑魚寝するスタイルだ。

 

 

タコ部屋のイメージ

 

そこにはいかにも訳ありな感じの人々がたむろしていた。一日中ゴロゴロしている奴、朝から焼酎を飲んでる奴、本を読みながらブツブツ独り言してる奴などなど、、、正直一瞬引いた。しかも館内はアンモニア臭(トイレから漏れてくる小便臭)に溢れ、タコ部屋の床はカップラーメンのゴミやホコリだらけ。極めつけは渡された毛布。汗の臭い、ヌルヌルした感触、そして陰毛まみれ。一度も洗濯してないことは間違いなかった。

そして電気もガスも水道も無い。なぜかというと大学は老朽化した中寮を解体しようとしていたのだが、寮生が反発して居座り、完全対立していたのだ。大学(体制)VS寮生(反体制)の構図。政治家、官僚、大企業幹部、弁護士等の多くの中寮OBによる取り壊し反対の立て看が入り口脇に設置されていた。

しかし、僕は1泊百円という安さに負けてタコ部屋にお世話になることに決めた。結果的にそこに3ヶ月近く住んだ。そしてどうにか翻訳のアルバイトを見つけ、名刺を作ってもらえたことで、やっと三軒茶屋にアパートを借りることができた。

 

そこでの3ヶ月は実に愉快なものだった。今となっては良き思い出だ。夏も終わる頃に寮を去る時は不思議にも少し感傷的になった。

初めの1ヶ月は妻帯だったこともあり、タコ部屋での生活はなかなかハードだった。ところが、寮長が僕のところにやって来て「林さんは奥さんもいるし、この部屋ではちょっと悪いので、空いてる個室に移ってください」と言ってくれた。そこは2階の南東角部屋で明るく、20畳くらいの部屋だった。決して清潔というわけではないのだが、タコ部屋経験者としては天国に思えた。

食事はほぼほぼ学食で済ませた。これも安く、カレーライスで300円しなかった気がする。たまにちょっと贅沢して夜中に裏門脇のラーメン屋に行くこともあった。(先週前を通るとまだあった) 風呂は体育会の入浴施設を使わせてもらったが、これがまた不衛生で実にヒドかった。僕は水虫はおろかイン●ンまでうつされてしまった。夜はいつも静かな部屋でロウソクを灯して本を読んでいた。まるで二宮金次郎だったな。笑

 

ある日、電気工学専攻の坊主頭のお兄ちゃんがやって来て、「林さん電気が無いと困るでしょう?ちょっと待っててください」と言い残して出て行った。部屋の窓から見ていると、電柱によじ登ったお兄ちゃんがなんだかコードを引っ張っているではないか。そう、彼は僕らの部屋のために電気を引いてくれようとしていたのだ。まさに東電から盗電してくれたのだ!笑 これには感激した。

部屋には古いながらも扇風機まで用意してくれて、盛夏も快適な生活となっていった。今頃あのお兄ちゃんはどうしているだろうか? 

 

 

即席バーの酒棚

 

毎週土曜の夜10時頃には、階段下の狭いスペースで即席バーがオープンしていた。寮生がシェーカーを振って、カクテルを作ってくれるのだ。確か1杯500円もしなかった。マティーニをオーダーすると、ちゃんとオリーブまで入れてくれた。

そこで寮生たちと深夜までいろんな会話をしたのも良き思い出だ。寮生は皆地方出身者だったが、部屋に居候している得体の知れない連中も多くいて、実に面白かった。東大生というとガリ勉で、冗談の一つも言えないような人種と思っている人が多かった時代だが、とんでもない。彼らは個性的で、総じてウィットに富み、そして優しい子が多かった。

 

今にして思えば、これまでの人生でもっとも貧しく厳しい環境にいたのだが、むしろそれを愉しんだ。僕には日本におけるベーグルの市場創出というミッションがあったから何ら恥じることも卑屈になることも無かった。それがあるというだけで心は希望に満ち、何の不安も不満もなかった。どんな状況にあっても気の持ち様一つでこの世は天国にもなるし地獄にもなるのだと思う。

 

自分のミッション、ビジョンに向かって歩いていくということは、それ自体が成功不成功とは無関係に幸福なことなのだと思う。起業家とはそれをもっともストレートに体感できる素晴らしい生き方なのだ。残りの人生もその価値観をベースに生きていきたいし、より多くの方々にもそれを味わっていただきたい。

 

 

取り壊し後に建設された駒場コミュニケーションプラザ

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