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【 ROCKY通信 】第252 <新年号>  宝物の年賀状

 

皆様、あけましておめでとうございます

いつもロッキー通信をお読みくださり、ありがとうございます

本年度もどうぞよろしくお願いいたします


 
 

【 ROCKY通信 】第252回  <新年号>  宝物の年賀状

  

 

原田先生からの年賀状その1

 

今年は懸案の日本経済も良くなりそうな気がします。何かの指標や統計値を見て言っているわけではないので根拠は無い。ロキ通は“イロジカル・シンキング”がコンセプトなのでご容赦を。笑 そう思うのは世のあらゆる分野で世代交代が進み、これから主役となる20、30代の人々が新たな幸福の価値観で次の時代のガイドラインを築いてくれる気配を感じるからだ。これまでの規範や慣習、ルールといった社会のOSが次々とチェンジもしくはアップデートされてゆくなかで、次代への躍動、胎動を感じるのだ。日々接する若い人々との対話からそれを感じている。混迷を極める国際情勢もあるのに、あまりに楽観的かもしれないが、そう思うのだ。これはきっと世界的な潮流なのだろうとも思う。

 

さて、今日のテーマは年賀状。僕が生涯大事にしたい宝物はいくつかあるのだが、その一つが高校時代の恩師から頂いた2通の年賀状だ。40歳くらいの時に母校の徳山高校に講演で呼んで頂いた。卒業以来の20年ぶりで校門をくぐった。当時の自分の教室も覗いてみた。いろいろな思い出が蘇ると同時に、原田稔(みのる)先生のことを思い出していた。

原田先生は僕が15歳の時に生涯の指針となる言葉をくれた人だ。3年間英語のクラスをもって頂いたと勘違いしていたが、先生は僕の1年終了時に、他校へ転勤されていた。だから卒業アルバムには先生のお顔は無かった。知的でダンディな先生だった。ふだんはとてもジェントルで優しいのだが、たまに怒ると迫力があり怖かった。受付の女性に原田先生の話をポロっとすると、もう25年も前に同校を去った人なのに、「ああミノルコフのことじゃね?」と即答された。ミノルコフ、、、なんと懐かしい響き。クラスメートは先生のことをミノルコフとあだ名をつけてそう呼んでいた。先生はダンディだった。多くの先生がジャージや、安物スーツで授業をされていた時代だった。

 

しかし先生は当時の徳山では売っていなそうな、きちんとした仕立ての良い洋服を着ておられた。僕は授業で先生のネクタイを見るのが楽しみだった。毎度いろんな色や柄のものをお召しになっていた。ある時ピンクの生地に水色の象の小紋をあしらったネクタイをされており、つい見入ってしまったのを覚えている。とても美しかった。それらは今にして思えば間違いなくエルメスのネクタイだ。受付の女性にその話をすると「ミノルコフはほんまにお洒落じゃったねえ」とうっとり遠い目をしていた。笑

 

会話弾み、不躾にも先生の連絡先はわかりませんか?と聞いてみると「調べてあげるけぇ時間を少し頂戴」という話になった。体育館での講演を終え、受付に寄るとミノルコフのご自宅の電話番号を教えてくれた。

東京に戻り、高なる鼓動を感じつつ電話してみた。電話には奥様が出られた。品の良いきちんとした話しぶりに、さすがミノルコフ!と思った。先生が電話に出られた。昔通りのお声だった。15の時に1年間英語のリーダーを教えて頂いたこと、そして最期の授業の最後の1分で“Where there is a will, there is a way”「意志あるところに道は開ける」と板書された話を伝えた。結果的にその言葉が僕の生涯の背骨となり、起業を果たしたことも伝えた。ベーグルというにパンを日本に初めて紹介したことを話すと、いたく関心を持たれてあれこれ会話が弾んだ。パン全般のことにも実に精通しておられた。先生はグルメでもあったのだ。先生が電話口で喜んでくれていることが伝わって来た。「いつか先生にお会いしたいです」とお願いしたが躊躇された。僕は一抹の寂しさを感じつつ電話を切った。

 

その年の元旦、先生から年賀状が届いた。感動で涙が溢れてしまった。そこには味のある筆文字で「祈 社運隆昌」とあった。僕はその年賀状を机の上に飾った。なんだか誇らしかった。翌年の正月、もう一通の年賀状が舞い込んだ。「ベーグル 時々ネットで買って孫に食べさせている 仲々素朴な味がいい」と。お孫さんにわざわざネットで買って下さっていることも嬉しかったが、ベーグルの本質を言い当てた先生の慧眼にも唸ってしまった。

 

その後少しして高校時代の登山部の顧問の先生と部活仲間で滋賀の名峰伊吹山に登る機会があった。先生にミノルコフとの交流の話をお伝えすると先生の顔が曇った。「原田先生、去年亡くなられてしもうたんよ」と知らされた。さらに「原田先生は気骨のある男じゃった。人間的にも立派な方じゃった」と。何年も癌で闘病されていたそうだ。しかし昔の仕事仲間にも一切それを知らせなかったそうだ。先生が僕に会おうとされなかった理由がその時やっとわかった。悲しかったのは当然だが、先生に男の美学を学ばせて頂いた。人は人生の去り際にそのすべてが凝縮される。

 

ミノルコフ、いや原田先生から頂いた年賀状は僕の宝物だ。恩師とはこういう人のことを言うのだろう。そんな出会いを得ることのできた僕は幸福だ。年賀状というより恩師の話になってしまったが、先生から教えて頂いた言葉「意志あるところに道は開ける」は、いまも僕の中で生き続けている。経験を積むほどに深みを増すその言葉は、僕の人生ステージの変遷とともに解釈も変わった。きっと僕の人生のピリオドまで燃え続ける心の発火燃料だ。

 

原田先生からの年賀状その2

 

 


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