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【 ROCKY通信 】第86回 恋愛論 ピアフとセルダン1

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社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
 

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【 ROCKY通信 】第86回  恋愛論 ピアフとセルダン1

 

エディット・ピアフ(下)とマルセル・セルダン(上)

 

「Moi pour Toi あなたのための私」という本がある。20世紀フランスの誇る稀代のシャンソン歌手エディット・ピアフと同じくフランスの誇るボクシングの世界ミドル級チャンプのマルセル・セルダンとの人生を賭けた大恋愛の往復書簡。ピアフの自叙伝「わが愛の讃歌」を20年近く前に読んで心の底から感動した。そして3年前に書棚を整理していて偶然引っ張り出して読み直した。その一部の25ページにわたるセルダンとの不実ながらも純度300%の純愛物語が出ているのだが、前回以上に心が揺さぶられた。そして2人のことを調べてゆくうちに「あなたのための私」という本の存在を知った。一昨年運よく古書店で見つけることができ一気に貪るように読んだ。読中、恥ずかしながら僕の目は捻りっぱなしの蛇口となった。 

 

シャンソン歌手 エディット・ピアフ

 

フェイントをかけるようで申し訳ないが、今日は最初に読んだ「わが愛の讃歌」の話から入りたい。少々長くなるが、お付き合い頂きたい。ところでピアフの歌を聴いたことのある人はどれくらいおられるだろう?後世の世界中の歌手に多大な影響を与えたことは間違いないし、波乱万丈の生涯を生き抜いた一人の女性としても大きな足跡を残した。子供時代から曲芸師の父親と共に町から町へと流れ歩き、街頭で歌う旅芸人としてどん底の暮らしをしてきた。若き日々は多くの男に騙され続け、天性の歌声で大成功してからは騙し騙されの日常。そして18歳で産んだ子供も失った。傷つきながらもどうすることもままならず堕落し、自殺も決意していた。そんな彼女がセルダンとの出会いで、全ての汚れた過去が清算され、前を向いて生きはじめる。まさに愛の力で。

 

恋愛とは心を擦り合せ、重ね合わせるプロセスではないか...と僕は思う。どこまで自分が相手を受け入れられるか、どこまで相手に自分をゆだねられるか。何だかチキンレースのようだが、神の愛以外で「無条件の愛」をこの世の中で実現することは本当にできるだろうか?ほんの2年間であったとはいえ、いや2年間であったからこそ2人の恋愛は限りなくその境地に近づけたのかもしれない。

 

本の冒頭の「なにも後悔しない」のタイトル、そして「私はまもなく死ぬでしょう」で始まるこの波乱万丈の自叙伝は僕が読んできた多くの自叙伝の珠玉中の珠玉だ。なかでも、人生を賭けた大恋愛の25ページは僕の人生観にも影響を与えるものだった。

 

「さて、いよいよそのひとのことを語る時がやってきました。そのひとは私の人生に輝きを与え、死が私たち二人を引き裂くことがなかったら、そのひとは私の人生を完全に変えてしまっていたでしょう。その男性がボクシングの偉大なチャンピオン、マルセル・セルダンであろうことは、おそらくみなさんもお気づきのことだと思います。」

という一文からセルダンとの濃密な2年間の封印されていた愛の扉が開かれる。これはピアフ47歳の時、リヴィエラで迎えた死の床での最初で最期の告白だ。

 

その前に何より語らねばならないのは、セルダンの非業の死。1949年、ニューヨークに公演に来ていたピアフに早く会いたいとせがまれ、世界タイトル戦を控えていたセルダンは旅客船での渡米を前日になって飛行機入りに切り替えた。そして、、、その飛行機は墜落してしまいセルダンは33歳でこの世を去ってしまった。自分よりも大切な存在であったセルダンを失ったピアフのその後の地獄の苦しみは想像に難くない。 

 

以下、琴線に触れた箇所をほんの一部だが本文より拾ってみた。 

 

『わが愛の讃歌 エディット・ピアフ自伝』晶文社

 

「世間は私たちのことを興味本位の目で見たり、時にはスパイのように私たちの行動を探ったりしました。心ないことも言われました。妻から夫を盗み、子供から父親を奪ったと言って私を非難しました」

「私は大地にひれ伏して叫びたいのです。マルセル・セルダンが私の人生を変えたのです」

「この世にやさしさや安らぎや愛情が存在することを教えてくれたのもマルセルでした」

「彼と知り合うまで私は何者でもありませんでした。もちろん私はひじょうに有名な歌手ではありました。でも、精神的には絶望したひとりの女にすぎなかったのです」

「人生で一番大切なものが何であるか、自分の過去を恥じることなく、堂々と鏡の中の自分の顔が見られるようになるにはどうしたらいいのか?私にそれを教えてくれたのはみんなマルセルでした」

「あの時、私に自殺を思いとどまらせたのはマルセルではなかったのでしょうか」

 

そして最後に嗚咽してしまったのがその章の最後の1ページだ。

 

マルセルの死後、とうとうその日がやってきました。玄関のベルが鳴り、背の低い郵便配達が一通の電報を届けにきました。「エディット、カサブランカに来てください。お会いしたいのです」 それはセルダンの妻マリネットからだった。セルダンの出身地であるカサブランカの空港で二人はしっかり抱き合い、辺りかまわず号泣した。一人の男を、人生を賭して愛した二人の女。そしてエディットの口からは「マリネット、もしあなたを助けてあげられるなら、もし私を必要とするようなことがあったら、いつでもどんな時でも呼んでちょうだい。マルセルのかわりをしてあげられるなら」という言葉がついて出た。そしてセルダンの息子の世話をすることになったピアフは「私は生きてゆく理由を見つけたのです」「私は救われたのです」と。

 

ピアフは次の言葉でその章の最後を締めくった。

「私たちのことが理解できない人は、きっと本当に人を愛したことがなく、死の訪れとともに愛も消滅すると考えている人でしょう」

 

参考図書 「わが愛の讃歌」 晶文社 中井多津夫 訳

 

 

 


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