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社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
このROCKY通信では、僕が社会起業家の育成・支援に携わっている中での経験や僕自身の人生での学びや考えをシェアさせていただいています。
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今週から3連発で世界3大幸福論について書きたい。先週ハーバード流幸福論について書いたが、コロナ第3波で一段と状況不安が高まってきているなかで、陰鬱感を吹き飛ばす為にも!今日はその第1弾、アランの幸福論について。
アランは戦中戦後のフランスの名門高校の哲学教師で、僕の高校時代の倫社の先生ともイメージが重なり、なぜか親近感の湧く哲学者だ。プロポという独自のスタイル(エッセーかアイデアメモのような感じ)で新聞掲載していたのが「幸福論」だ。アラン自身はもちろん才能溢れる人物であったが、高校時代の哲学教師からの影響で、自ら一高校教師としてその生涯を遂げた。
彼の代表的著作の1つである幸福論は、僕は30代後半に初めて読んだ。もっとも印象深く記憶に残っている示唆は「幸福は結果ではなく、原因となるべきもの」ということ。幸福とは何かしらの人生への積極的な働きかけによってご褒美として得られるもの、と考えるのが通常だ。しかしアランは、「自らが幸福である決意をし、そうすることで本当に幸福になれる」のだという。しかも「自らが幸福を決意選択することでそうなり、そうなって初めて他者をも幸福にすることができる」ともいう。笑顔の効用でもそれを説明している。「幸せだから笑うのでなく、笑うから幸せになるのだ」と。さらに、「自らが努力して勝ち取った幸福が本物の幸福であり、棚ぼたや偶然のラッキーは幸福の対象とはならない」とも述べている。
あと気づきをもらったのが、「近くばかりを注視していると、鬱々としてくるので遠くを見みよう」というもの。ジョギングや散歩、星空を眺めるのも一助。確かにそうすれば大局が見える。俯瞰できる。時間軸が変わる。本質が見える。気持ちのゆとりが持てる。気分が大きくなる等々。人は気がついたら目の前のタスクにがんじがらめになっていることは多々ある。コロナ禍で在宅勤務になり、多くの人々が近視眼に陥っているかもしれない。そういう時こそ遠くから事象を眺めてみることが必要だ。近視眼と遠視眼はミクロとマクロとも例えられ、どちらも必要であり正誤は無いのだが、アランの教えは発想としてありがたい。
アランの哲学は逆説的な発想が多く慣れるのに少し時間がかかるかもしれないが、理解しようとするだけで脳が凝固する多くのヨーロッパ系の著名な哲学者に比べると、ずっととっつきやすい。エッセーのように短編仕立てなのでとても読みやすいのもありがたい。日々の新聞掲載だったこともあり、日常におけるプチ哲学という印象。ガツーンとくるようなパンチはないが、何かホッとするような優しさがある。(実はそんな中にしっかりエッジが利いているのだが)さて、来週はラッセルの幸福論について書いてみようと思う。
高校時代、唯一真剣に学んだ教科は倫社。そこには古今東西の哲学者の考えの紹介があり、京大で哲学を学ばれた当時80近かった老師の解説が超面白かったからです。喰い入るように傾聴していた時代がとても懐かしい。起業してからも、折に触れ哲学者たちの「考え方」「物事の見方」「発想の仕方」を学ばせてもらいました。哲学は万学の祖と言われるだけあり、その効用は計り知れません。そして何より「考えることは楽しい!」ということを教えてもらえたのが嬉しいです。まさに至福の時間をもらえます。コロナ禍で自問自答する時間が増えていると思いますが、これを機にぜひ気になっていた哲学書を手にしてみて下さい。
さあ今日も拳を上げて前進だ!