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社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
このROCKY通信では、皆さんが、人生やビジネスのヒントとなるようなお話をさせていただければと思います。
皆さんのお役に立てましたら幸いです。

タイプライター仕様の無二なロゴ
先週の夜、書斎でそっと目を閉じてみた。50年も昔の光景が浮かんできた。時は1978年。僕は地方の中学3年生で、GFはおらず剣道部に属しつつ、そこそこ勉強に励んでいた。季節は忘れたが、確か秋。そんな時分、学校から帰宅し、たまたまテレビを付けると洋楽のライブをやっていた。確かNHKだった。僕はTVに釘付けになった。それが「チープ・トリック」だった。そして“Clock strikes Ten”という曲には完全KOされた。音とライブアクトに一発でハートを鷲づかみにされた。ポジティブでキャッチ―な楽曲、メンバーの個性とルックス、そしてカッコいいロゴ。あの時の感動は今も鮮明に覚えている。僕は速攻で小遣いを握りしめ地元のレコード店に走った。今回と次回のロキ通で、僕の体験したチープ・トリックのライブにまつわる話をしたい。まずは1978年の話、次回は先週武道館で行われたチープ・トリックのサヨナラジャパンツアーの話をしたい。ちょっと大げさに言わせてもらうと、これは半世紀の時を経た僕自身のアーカイブでもある。
洋楽誌、確かミュージックライフ、で来日情報を目にし、早速博多の叔母に頼んで福岡講演のチケットを取ってもらった。確か春だったと思う、僕は福岡の九電記念体育館にドキドキしながら向かっていた。チープ・トリックは僕が初めて心を奪われたバンドだった。等身大のアーティストだった。中1頃から音楽好きのクラスメートは洋楽派とフォーク派とに二分していた。僕はより自由を感じられた洋楽を中心にしつつも、双方のレコードを買ったり借りたりして聴いていた。が、どうもピンと来ない。洋楽はお決まりのビートルズ、サイモンとガーファンクルから当時流行中だったベイシティローラーズ、キッス、オリビアニュートンジョン等々まで聴いていた。

1978年当時のメンバー(左からロビン、トム、バーニー、リック)(引用:rollingstonejapan.com)
会場に着くや、同世代の女の子の嬌声がそこいらで爆発していた。観察していると、家出して来たのか母親に力ずくで連れ戻されそうになり抵抗している子、チケットを持っていないのだろうか、会場の外で泣きながら叫んでいる子、これはまさに“ライオット”だと思った。その後国内外でロックのライブは数々見てきたが、今だにあれ以上の興奮状態は見たことが無い。あとで聞いたが1つ上の僕のハトコの女の子も両親を振り切って会場に来ていたそうだ。僕はといえば当時の一張羅で決め込んで、1人会場に乗り込み、固唾を吞んで開演を待った。
その後のライブでもオープニングの定番となる超名曲”Hello There”から幕開けとなった。演奏が始まるや聴衆はいきなりトップギアに。バンドの爆音と女の子たちの爆声で頭がクラクラした。そしてあっという間に演奏が終わったように感じた。初体験ライブは最高!だった。普段聴いているレコードを遥かに上回るものだった。これがロックなのか!と思った。そこには本能の解放と自由があった。まだメンバーは20代でパワーも満開。リードギターのリックはコミカルな動きと片言の日本語でコミュニケートする。ステージを歩き回りながら、手裏剣のようにピックを次々にオーディエンスにまき散らす。女の子達のお目当てのイケメンボーカル、ロビンは高音域を駆使しつつアクションもキュートでカワイイ。もう一人のイケメンのトムはヘビーながらも明るいベースでバンドにポジティブな安定感を与える。そしてこの日の出色だったのは地味な風貌のバーニー。太った体躯、髭面、白シャツにネクタイで完全なオヤジキャラなのだが、そのドラミングのパワーには圧倒された。煙草を吸いながらのチョイワル演奏にもグッときた。しかし初めてのライブであそこまでの興奮を味わえたとはラッキーだったとしか言いようがない。

チープ・トリックat Budokan (引用:Guitar Records)
後に、このツアーの時の武道館ライブが“チープ・トリックat Budokan”として売り出され、そのアルバムが逆輸入された本国アメリカでチャート4位となりトリプルプラチナムを獲得した。僕が米国留学していた1993年頃もラジオでよくかかっていた。多くの名曲を残しているチープ・トリックだが、”at Budokan“からの選曲が殆どだった。実はこのバンドは日本で人気に火が付いたバンドだった。クイーンなんかと同じパターン。そして国技の殿堂である武道館をライブイベントの殿堂にしたのは、このアルバムだったのだ。武道館が世界ブランドとなり、国内外の人気バンドのデスティネーションとなった。チープ・トリックのお陰といっても過言ではない。
翌日たまたま名門西鉄グランドホテルの前を通りかかると、明らかにグルーピーと思しき女の子たちの群れに遭遇した。みんな歩道からホテルの上層階に向かって騒いでいる、ホテルマンに聞くとチープ・トリックの面々が宿泊中とのことだった。たまに窓から手を振ってくれるそうで、それを待っていたそうだ。今にして思えば、世界的にはほぼ無名だったこのバンドを目利きした彼女たちは素晴らしいセンスだったんだなとあらためて感心した。
本当はロキ通1回分で書き切りたかったのだが、どうにも紙面が足りない。笑
次回は先週武道館で行われた”チープ・トリックFarewell Tour”のことを書きたい。諸兄諸姉にはお付き合い頂けると幸いである。

最も好きなアルバム“蒼ざめたハイウェイ”(1977年)(引用:snow record)
余談、、、
これまで多くの洋楽愛好家に話してきたが、誰にも伝わらなかった小ネタを1つ。
僕らの世代の人は「こち亀」こと「こちら亀有公園前派出所」を知らない人はいないだろう。主役の両津巡査の脇役として、中川圭一というイケメン警官がいる。あれは間違いなくボーカルのロビン・ザンダーがモデルだ!間違いない!誰も分かってくれないけど、、、笑