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社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
このROCKY通信では、皆さんが、人生やビジネスのヒントとなるようなお話をさせていただければと思います。
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父の日の白い薔薇
今日は父の日だそうだ。知らなかったが父の日はアメリカの教会で生まれ、世界に広まったらしい。国により制定日は異なり、白い薔薇を父親に贈るのが慣習という。
父の日の1か月前の母の日は世界的にも定番行事だが、父の日は今一つ盛り上がりに欠く感がある。実際僕は生前の父に何かをしたことはない。高校を卒業して実家を出てからは年に1、2度会うくらいの関係性だったこともある。たまに電話をしても気恥ずかしさも手伝い、すぐに母に代わってもらうことが多かった。それに対し母の日には電話はしていたと思う。そういえば以前全国チェーンの花屋の社長から聞いたことがあるが、母の日に年間売上の半分近くを稼ぎ出すとのことだった。母の日の赤いカーネーションはしっかり根付いている印象だが、父の日の白い薔薇はどうにもピンと来ない。
理由を考えてみるとやはり父親と母親での心理的距離感の違いに行きつく。役どころも異なる。まず母親は子供を産んでくれるという絶対的な役割があり、この時点で既に勝負あったという気がする。笑 あとは炊事、掃除、洗濯といった日常の身の回りのこまごまとした世話。最近は夫婦における家事分担も常識化しつつあるようだが、まだまだ母親の負担の方が大きいと思う。そして普段のコミュニケーションの頻度の差も決定的だ。子供にとり父親と母親では心理的な距離感が違うのだ。父親は主に家計を支えるべく家庭外にいる時間が圧倒的に多く、そもそも接点が少ない。
自分も人の親ではあるが、特に父の日に何かしてもらった記憶はない。それで拗ねたりすることもなかった。そもそも父の日というのを意識したことも無かったから。電車の中刷り広告でデパートが父の日のプレゼントをうたっているのを見て、ああそうなんだと思うくらいだ。
家庭は母親を中心にまとまるのが円満の秘訣ではないか。父親はここぞという時に頼られる存在であればいい。そして死に際にでも少し感謝してもらえればそれでいいと思う。ロベルト・デュランというパナマのスラム出身で、石のコブシと恐れられたボクシングの名チャンピオンがいた。彼の名言に「親父の代わりはいくらもいる。しかし母親の替えはきかない」というのがある。中学生の時に専門誌で読んだ一文だが、いたく納得したのを覚えている。