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社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
このROCKY通信では、皆さんが、人生やビジネスのヒントとなるようなお話をさせていただければと思います。
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引火した小田急電車 (引用:News ポストセブン)
先日、近所で火事があった。けたたましい消防車の音でついベランダに出ると煙が見えた。その時、ふと7年前のショッキングな火災事故のことを思い出していた。当時所属していた都内の某ボクシングジムで実体験した恐ろしい火事のことだ。それまでよくニュースの火事報道で、逃げ遅れて死に至る人が多いのを知っていたが、高齢者や障がい者ならいざ知らず、なぜ早く戸外に逃げないのだろう?といつも不思議に思っていた。
その日は確か日曜日で、午後から練習に向かった。ジムでは3-4人が平常通りの練習をしていた。僕も柔軟体操を済ませ、サンドバッグを打ち込んでいたところだった。鼻の利く僕が最初に練習仲間に声を掛けた。「何か焦げ臭くない?」みんな「いいや何も臭いませんよ」とのレスポンス。そのあともう一度同じやり取りをした。そしてしばらくすると白い煙が少しずつ壁伝いに降りて来た。その不気味な煙はよく覚えている。そもそも煙が下に降りてくるというのも不思議な現象なのだが、幽玄で美しくも見えた。冗談で「心霊現象かな」と話した記憶があるが、誰も気づいていなかった。
しかしだんだん白煙の勢いが強くなり、これはただごとではないと直感した。外に飛び出してみると、3階に火の手が上がっていた。ジム1階、そして2、3階に向かって大声を張り上げた。「火事だぞ!みんな外に出て!すぐに!」練習していた仲間は最初は棚に整理された皆の練習道具、グローブ、ヘッドギア、ノーファウルカップといったものをせっせと運び出していたのだが、建物自体が軋む音を聞いたので「道具出してる場合じゃないよ!天井が落ちるぞ!」と絶叫して全員戸外に誘導した。かつて観た映画「アウトサイダー」で同様のシーンがあり、それが脳裏をよぎったからだ。それから何分経っただろうか。予想通り1階の天井がドーンという音とともに崩落した。もう家屋全体が火の海となっていた。
ジムは戦後すぐの建築で既に老朽化の激しい3階建ての木造一軒家だった。1階がジム、2階が更衣室、3階が合宿生の下宿。立地は小田急線の線路端。ジムは路地の最奥に位置し、路地幅は2Mもなく車も入れない。すぐに消防署に連絡し、ジム会長に連絡を取った。この日会長は所用で遠出していた。会長は「すぐに向かう」と言い残して電話を切った。その後同じ路地に住む一軒家の人々に声を掛けてまわり避難を訴えた。
消防車が到着するのに随分時間がかかった。30分は待ったような気がしたが、実際はそれほどでも無かったのかもしれない。そしてさらに消火活動が遅れたのは、L字型の狭い路だったからだ。しかもジムはそのどん詰まりだったからだ。消防車が入れないので、ホースを継ぎ足していたのだろう。消火活動が始まった時にはもう家屋全体が炎上していた。そして最悪なことに、走行中の小田急電車に引火してしまった。電車の屋根に火が移って燃えているのが見えた。そして距離が10Mは離れている隣地のマンションの2階部に向かって火が走っていた。この時初めて知ったのだが、火というのは水平にも走るのだ。垂直に走る火は何ら不思議ではないが、水平にも走るのだ!これには驚いた。電車に引火したのも同じ理由だったと思う。そして横走る炎がマンションの厚い窓ガラスをバリン!と音を立てて割るのを目の当たりにした。しばし茫然とその光景を眺めていた。
気が付くともう夜10時だった。僕はクタクタに疲れていた。消火活動は延々と続いていた。第一発見者だったこともあり消防署の質問も数時間に及んだ。それには答えたがメディアの取材に応じる気力はもう残っていなかった。帰途、ジムが背負うことになるであろう補償額のことが頭をよぎり心配でならなかった。完全鎮火は翌日だったのではなかろうか。テレビをつければどこもその火事報道をしていた。やはり電車に引火したというのがインパクトだったようだ。乗客は電車を降り、線路を歩いて避難したらしい。
火事、ニュースで見る他人事ではない。誰にでも起こりえるものだ。あの時のように着火時に気づければ助かるかも知れないが、本格的に火の手が回ってしまえばとても逃げおおせるものではない。烈火の圧倒的な力の前に、成すすべは皆無だ。それがよく分かった。あの激しい火事で死傷者が1人も出なかったのは本当に奇跡だ。あとで人伝に聞いたところでは、出火原因が特定出来なかったとのことで、小田急や近隣からジム側への訴訟等も無く、うまく収めることが出来たとのことであった。
矢吹丈と丹下団平が出て来そうな年季の入ったジムだったが、僕には第2の青春をくれた思い出深いジムだった。今そこにはポツリと一軒家が建っている。