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社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
このROCKY通信では、皆さんが、人生やビジネスのヒントとなるようなお話をさせていただければと思います。
皆さんのお役に立てましたら幸いです。
左近桜
桜の話をするようになるとは自分も老いたのかなと思う。桜好きだった小林秀雄さんの影響もあり、40の声を聞く頃から急に桜の銘木めぐりが趣味となり国内の方々をまわってきた。北は五稜郭、弘前城、盛岡の石割桜、高遠の血染め桜、根尾の薄墨桜etc. 今回は全く知らなかった岩国市錦町広瀬の左近桜。昨秋、教え子のH君の仕事を見に現地訪問した際にその秘境の老木を紹介され、一目惚れした。幹や枝には積年の古格があった。剛にして優たるこの左近桜には人格があるようにすら感じられた。そして「この一本桜に花が咲いたら一体どうなるのだろう?」と夢想した。
地元の各界の重鎮の方々とともに、H君引率のもとピンポイントの日程で左近桜を見に行った。車のすれ違えない道幅5Mほどのつづら状の山道をひた走る。谷側にはガードレールもなし。ほぼ垂直の谷なので、落ちればお終いだ。昨秋は大雨だったのに、なぜかそれほど不安にはならなかった。幸いにも対向車が無かったからかもしれない。
今回は車中5名であること、道路にちょっとした倒木や山石が転がっていたこともあろう。珍しく不安な気持ちになった。そして最悪なことに何度も離合することとなった。離合とは車がすれ違うという意味の言葉で、この度初めて知った。対向車と出くわすと、どちらかがバックで数十メートル退避ポイントまで後退しなければならない。これは後ろ向きの綱渡りのようなもので、車内の皆さん笑顔だったが、きっと内心は不安だったと思う。
「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」という本居宣長の有名な句がある。日本人は春が来ると桜と共に心は軽くなり、希望を五感で感じる。インバウンドの方々が花見に参加しているのを見ていると、花見というイベントに参加はしているが桜自体にはそれほど興味を持っていないように感じる。日本人はイベントもさることながら、桜自体を純粋に鑑賞しているように見える。やはり桜は我々にとり特別な季節のご褒美なのだと思う。宣長さん同様、僕は山桜が特に好きだ。馴染みのソメイヨシノとは異なり、遠景ながらその野趣あふれる力強さにいつも見惚れてしまう。
さてその悪路を1時間以上走ったあと、H君が車を止めた。山頂の方を仰ぎ見ると、満開の左近桜が鎮座していた。その力強さはこれまで見てきた銘木とは異なるものだ。これは写真ではとても伝えきれないものである。冒頭でも話したが、この一本桜は植物とは思えず、人格をそなえた「特別な存在」のように感じた。擬人化すれば、世の艱難辛苦に堪え無頼で生き抜いてきた男。そして優しさも兼ね備えた頼れる男。樹齢は800年以上と言われているそうだ。
実はこの老木にはいわれがある。1185年、源平合戦で源氏に敗れ平家の落人となった武将、廣實左近頭定国がこの地に植えたという。そしてこの秘境の地には昭和の前期あたりまで廣實一族の末裔の人々が住んでいたそうだ。じっと眺めているとこの老木が左近自身の生まれ変わりのように見えて来る。中国山地のこの秘境に800年以上にわたり息を潜めて生きてきた平家末裔の人々の守護神となって。
左近さんとツーショット
基礎情報『いわくに文化財探訪』