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社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
このROCKY通信では、皆さんが、人生やビジネスのヒントとなるようなお話をさせていただければと思います。
皆さんのお役に立てましたら幸いです。
先週火曜の夕方、知らない携帯番号から電話がかかってきた。僕は普段はこの手の電話には出ない。だのになぜか分からないが不意に出てしまった。そして電話口に出た瞬間、背中に冷気が拡がるのを感じた。電話の主は僕の大学時代の親友N君の息子さんだった。そしていきなりNの死を告げられた。自殺だった。その先々週、僕はなぜか彼のことを母に話していた。40年前、大阪から自転車で僕の山口の実家までやって来た時の話だ。そして彼が帰天した日の深夜、“MADNESS”を聴きながら奇しくもNのことをふと思い出していた。
息子さんから電話のあった夜、寝床で瞼を閉じるとNとの思い出の日々が蘇って来た。彼と出会ったのは、神戸大学に入学した1983年の春だった。学部は違ったが登山を主活動とするユースホステル部で一緒になった縁だった。人懐こいNは部室で、学食で、喫茶室で、いつもヒロキヒロキと話しかけて来てくれた。そのうち当時西宮北口にあった僕のアパートに毎日のように通ってくるようになり、もう一人の部活仲間Cと3人でよく深夜までダベっていた。部活だけでは飽き足らず、Nとは関西学院のテニスサークルにも参加した。夏合宿で“BOB MARLEY”のレゲエに合わせて皆でタコ踊りしたのは最高に楽しい思い出だ。大阪探検と称して梅田を起点に方々を歩き回ったな。合コンなんかも随分やったっけ。教養課程の2年間、僕らは学生生活を謳歌した。純粋で明るいのだが、どこか考え方に偏りがあり排他的なところが気になったが、喧嘩や口論など一度もしたことは無かった。
特に音楽の話をしている時はいつも盛り上がった。僕の部屋ではいつも何らかのROCKがかかっていた。Nにハードロックの始祖“THE WHO”を紹介すると、のめり込むようにして聴き込んでいた。彼のポイントはバンドの正直さや無邪気な純情性だったと思う。あと何気にかけていた初期の“RCサクセション”の楽曲に感動し、こちらにものめり込んでいた。18の夏のことだ。エアコンの無い暑い部屋で、酒の飲めなかった僕らはコーラをガブ飲みしながら語り合った。RCに関しては、絶頂期のライブに3回は同行したと思う。僕がNを好きだったのは、とても純粋かつ正直で、繊細さも持ち併せていたところだ。音楽の話をしていてよくそれを感じた。キヨシロー独自の純な歌詞によく反応していた。「『僕の目は猫の目』ってええ歌詞と思わへん?」とか「『お月様のぞいてる 君の口に似てる』ってところ、ホンマ沁みるで」とタバコをふかしながら語っていた。恋愛論もよくした記憶がある。Nは自分が純粋だから、相手にもそれを求めた。見た目の好みは清楚で笑顔の可愛い子。男子校出身だったので当初は奥手だったが、やがてIVYファッションに身を包み、そちらもだんだんアクティブになっていった。笑
大学後半になると工学部だったNは深夜に及ぶ研究実験が始まり、暇な僕とは大違い。「ヒロキ泊めてくれー」とよく夜中に僕の六甲のアパートにやって来た。そういえば、僕が彼の大阪の実家に遊びに行ったこともあった。起業する前に商社への就職を考えていた僕は、商社マンだった彼のお父さんに話を聞かせてもらうために。お父さんは商社マンとは思えない朴訥な方だった。お母さんは綺麗だったが、厳しさのある方だった。弟さんはNとはキャラが異なり現実的な子だった気がする。
50歳の夏だったか、彼がクラプトンのライブを見に上京して来て、芝公園のカフェで20年ぶりに再会した。音楽話もしたが、その時に聞いた近況は図らずも重いものだった。父母弟の皆さんがずいぶん前に亡くなられたこと、奥さんとの間に1人子供がいるが離婚したこと、勤務先のメガバンクで人間関係がうまくゆかず苦しんでいること、そして以前から心療内科に掛かっていること等。久々の彼は少し疲れているように感じたが、会えて本当に嬉しかった。半年後に彼からクラプトンのライブ音源が届いた。
再会時に心中何か不安のようなものを感じたので、その後は年に数回Nに電話を入れた。彼からもたまに連絡が来た。「天涯孤独やもん、そりゃあ寂しいで」と言っていたが、奥さんとの復縁話も密かにあったようでそれを希望の光にしているようだった。いろんなアドバイスもした。何があっても自分からは会社を辞めない事、会社以外のサークルでもボランティアでもいいから何らかのコミュニティに属することを繰り返し伝えた。最後に話したのは、たぶん昨年末だったかと思う。うろ覚えなのは超忙しい時期だったからで、電話があった時の状況すら記憶にない。覚えているのは「たまに息子がうちに泊りに来てくれんねん」と嬉しそうに語っていたのと、「俺転職してん。ヒロキには辞めるな言われたけど、まあいろいろ考えてな」ということ。ゆっくり話す時間が無かったので、あまり立ち入ったことは聞かなかった。今にして思えば、Nはもっと話がしたかったのではと思う。息子さんからNが亡くなる前夜は一緒だったと聞き、少し救われた気がした。もしはもうないが、救急病院がその夜彼を受け入れてくれていたら、死ぬことはなかっただろう。
とにかく来世でまた会おう!少し早く人生を途中下車してしまったが、寿命との違いなんて瞬きみたいなもんだ。もう誰も気にする必要はないぞ、本来のお前らしくやってくれ!最近ROCKフリークの話し相手があまりおらず、俺も寂しい思いをしている。いつかJACKバーボンでも飲りながら、また熱く語り合いたいね。ロックの過去、現在、そして未来について。
合掌