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社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
このROCKY通信では、皆さんが、人生やビジネスのヒントとなるようなお話をさせていただければと思います。
皆さんのお役に立てましたら幸いです。
1970年代のCBGB(引用:The Gradian)
前職のベーグル屋時代は毎年社員を連れてNYに定点観測に行っていた。目的は最先端のカフェ、レストラン事情の視察と慰労だった。朝から晩までひたすら試食続きで、さすがに3日目には胃が悲鳴をあげたものだが、そんななか夜の楽しみが一つあった。CBGBというライブハウスに行くことだった。PUNK系のライブハウスで、既にロック界の伝説と化していた。通ったのは1996年から2005年頃だったろうか。
CBGBの看板バンド ラモーンズ 1977年(引用:BBC)
なぜ伝説化していたかというと、出演バンドがハンパないのだ。バンドが伝説を創ったのだ。
知っている範囲で書いてみよう。ラモーンズ、ニューヨーク・ドールズ、パティ・スミス、ブロンディ、ザ・ハートブレーカーズ、ディクテーターズ、トーキングヘッズ、ベルべット・アンダーグランド、イギーポップ、テレビジョン、スパイナル・タップ、、、もう本当にキリがない。海外からの飛び入りもACDC、ザ・ジャム、セックスピストルズ、エルビス・コステロ、ザ・ポリス、ミックジャガー、マリアンヌフェイスフルといった大物が多かったようだ。PUNKといえば日本ではロンドンが本場と思われているが、実はニューヨークが火元で、そこからロンドンに飛び火し、最後に世界的に炎上したという流れなのだ。つまり1970年代のCBGBはPUNKの発祥地とも言える聖地だったのだ。
CBGBの誇り?圧巻のトイレ (引用:The Today Show)
そして今日一番言いたいこと、、、それはCBGBのトイレのことだ。これまで60年間見てきたトイレでこれ以下はないというくらい汚いトイレだ。東南アジア等で絶句するトイレも見てきたが、CBGBほど不衛生なトイレは無かった。しかし、しかしだ。世界で最も芸術的なトイレでもあったのだ!汚れ方もハンパないのだが、何度もペンキで上塗りされた上に、さらに落書きしまくりで、あれはアートといえる美しさだった。
CBGBに行くと、必ず真っ先にトイレに行って用を足し、便器や内壁を眺めて、それからステージ前に陣取りに向かった。トレインスポッティングという1996年の大ヒットした青春映画があるが、主人公のレントンがどうしようもなく汚い便器に頭から吸い込まれるシーンがあるが、あれは間違いなくCBGBのトイレがモデルになっていると思う。
世で最も汚いものを芸術に昇華するなんてまさにPUNKではないか!これぞNY!イロニーでありユーモアでありコメディだ。常連だったアンディ・ウォ―ホールもこのアブストラクトな美に大いにインスパイアされたに違いない。
CBGBのステージ (引用:New York Daily News)
場所はバワリーの外れという夜になるとちょっとヤバい地区で、ライブがはねた後はさすがにタクシーを拾うことが多かった。狭い間口に鰻の寝床のような細長い会場。奥にステージがあったがこれもとても狭い。そして汚い!だがいったんライブが始まるとバンドとオーディエンスが一体となって、とんでもない乱痴気騒ぎとなる。僕が初めてダイブやモッシュを経験したのもここだった。爆音が楽しめて、近距離でバンドとやりあえて、他のオーディエンスと大騒ぎができた。そうここは完全な「自由空間」なのだ。
その後どんな立派な東京のライブ会場でもこの興奮は味わえたことは無い。この伝説のライブハウスは2006年に閉じてしまった。オーナーのヒリー・クリスタルによると大家の家賃値上げに堪えられなかったと聞いた。実にもったいない話だが、ひょっとするとデジタル音楽への移行期に差し掛かり、PUNKやポストPUNKの終焉を感じ取っていたのかもしれない。そしてその翌年、ビリー自身もこの世を去った。
今もCBGBは多くのPUNKファンにとって伝説であることに変わりはない。Tシャツは方々で売られ、若者が着ている。80年代以降巨大産業となったロック。CBGBはロックの原点を頑なに守ったライブハウスだった。ハウスルールで、オリジナル曲を演奏しないバンドはステージにも立てなかった。晩年ではあったがCBGBで毎年ライブを観れたこと、そしてあのトイレを体験することが出来たことは、僕の中の“History of Rock’n’Roll”の一部として今も脳裏に刻まれている。
CBGBのオーナー ヒリー・クリスタル (引用:Punk Magazine)