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社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
このROCKY通信では、皆さんが、人生やビジネスのヒントとなるようなお話をさせていただければと思います。
皆さんのお役に立てましたら幸いです。
著者 田中健介 近影
かつての部下が、新書本を上梓した。ベーグル&ベーグル時代に工場長をしてくれた田中健介という男だ(通称健さん)。書名は「ナポリタンの不思議」。彼のライフワークとも言える趣味を形にしての出版だ。間違っても「どうせ自費出版だろう?」なんて言わないでください。立派な商業出版です。2009年に「日本ナポリタン学会」なる市民団体を主宰し、爾来15年、地道にナポリタンの啓蒙、普及活動を続けてきた。
「ナポリタンの不思議」
彼は生まれも育ちも横浜の生粋のハマっ子だ。しかしここまで地元愛の強い人間はあまり知らない。何しろスポーツはベイスターズにマリノス、ラーメンは家系、とんかつは勝烈庵、歌は横山剣、カミさんはフェリスという訳で、、、笑 じつはナポリタンも食への好奇心という以上に横浜愛から来ているのだ。
かつて彼に聞くまで知らなかったのだが、ナポリタンは横浜が発祥の地。今回の本の読後感想は、「ナポリタンを通じた横浜愛の伝承」というものだった。休日が合う日曜日の夕方に、横浜ナポリタンツアーに連れて行ってくれた。元祖と言われる野毛の洋食レストラン「センターグリル」を起点に、確か3店舗梯子した。さすがに満腹になったが、どの店も特長があって美味かった。元来B級グルメ好きなこともあるが、健さんの解説を聞きながらのナポリタンツアーは楽しい思い出だ。
そもそもナポリタンとは何なのだ!?初めて食べたパスタはナポリタンだった。幼稚園時代の母の手料理。確かチキンの細切れと玉ねぎ、ピーマンが入っていた。給食にもよく出ていて、いつも刳り貫いたコッペパンに押し込んで食べていた。イタリアのナポリは20代の頃にハマって、たぶん10回は通い詰めた街だ。そこで好物だったのは“スパゲッティ・ナポレターナ”つまりナポリ風スパゲッティ。完璧なアルデンテのスパゲッティに、さっと煮込んだか完熟トマトにバジルを刻んで乗っけただけのシンプルなパスタ。これが実にうまくて偶然見つけた下町の小さなレストランに毎度も通った。実はマラドーナも常連の名店。友達にもずいぶん紹介した。
しかし、日本のナポリタンは名前こそ近いが、まったく似て非なる食べ物。トマトはトマトでもケチャップが味のベース。そもそもイタリアでケチャップは見たことがない。健さんの見立てでは、和製ナポリタンの原型はケチャップを主食材とするアメリカではないかということ。確かに第二次大戦後、米国はナポリも管理下に置いていた。このメニューを本国に持ち帰り、ケチャップを使って表現してみたのではないかと。うーん、なかなか面白いぞ。
そして横浜では戦後多くの名門ホテルが開業されてゆくのだが、そこで米軍関係者に振舞われたのが横浜をルーツとする和製ナポリタンの原型という考察。その後国内中に伝播し、各地方で進化派生していった過程もしっかりとした調査に基づいている。学術的な論考もあり、社会学や文化史にも通じている。健さん頭良かったんだね ! 笑
発売と同時に売上1位をキープ
この本が横浜の書店でベストセラーが1月も続いているそうだ。これは単なるグルメ本ではなく、洋食史でもあり、横浜史でもある。またこの結果はきっと健さんの横浜愛が多くの市民にも伝わっているという証左でもあろう。今の時代、言葉はおろか文化まで全国的に標準化され、オール金太郎飴状態になりつつある我が日本。本気の地域文化の継承、伝達、活性化に取り組む健さんは、現在は介護職の責任者としても地域貢献している。広義でとらえれば社会起業家とも言えよう。
これを書いていて健さんの結婚式を思い出した。両家の親戚縁者がみな横浜愛に溢れる熱い人々で、強烈な印象が残った。義父が結婚式の時に言い放った「ハマの治安は俺が守る」には痺れた。首都圏にもまだこんな漢がいたんだ!と。君もそのスピリットを継ぎ、後進にバトンを渡してもらいたい。YES YOU CAN !
日本ナポリタン学会ロゴ
☆『ナポリタンの不思議』マイナビ出版社からの紹介
☆日本ナポリタン学会HP
☆日本ナポリタン学会 Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/日本ナポリタン学会
☆日本ナポリタン学会 動画
『110 横浜北部地元ニュース〜よこはま物語が日本ナポリタン学会認定店舗に!』