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社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
このROCKY通信では、皆さんが、人生やビジネスのヒントとなるようなお話をさせていただければと思います。
皆さんのお役に立てましたら幸いです。
『エフェクチュエ―ション』碩学舎/碩学叢書 2015
2か月ほど前、社期大OBのHさんが主宰する読書会がキッカケとなり「エフェクチュエ―ション」という言葉を知った。アメリカでは地獄のバージニアと呼ばれるダーデンビジネススクールのサラス・サラスバシー教授のアントレプレナーに関する論説で、「エフェクチュエ―ション」という書籍になっている。監訳は神戸大学の加護野忠男氏で、学生時代に企業戦略を習った。
読後の感想としては、自分が起業家としてやってきたことに近いなというもの。だから大いに共感した。起業ステージを過ぎ、成長成熟ステージに入ってからは、周囲のステークホルダーからは異なる能力を求められるようになった。ビジョンからの逆算で、現状とのギャップを埋めるべくロジカルシンキングを活用し手段を策定してゴールに至るというアレだ。その後あまりにそのパターンの思考が習慣化していたので、エフェクチュエ―ションの概念は久しぶりに昔の自分を思い出させてくれた。
サラス・サラスバシー氏
今回はエッセンスを抽出しつつさっと読んでみた。エフェクチュエ―ション(実効論)は、コーゼ―ション(因果論)と対になって捉えられておりそこが面白く、かつ分かりやすかった。サラスバシー氏による定義では、エフェクチュエ―ションは起業において手持ちの手段からスタートしそれらを活用して何ができるだろうか?と考えるもの。とても現実的だ。その手持ち手段とは社期大で教えている「自分らしさ」そのものだ。自己起点と言えるかもしれない。
それに対しコーゼ―ションは求める結果を起点とし、その達成のためには何をしたらよいか?と考える。現代経営の王道となる思考プロセスだ。プロ経営者と呼ばれる人たちが典型だ。前者の問題は構築にあり、後者の問題は設計にあるという。前者は未来予測ができず、目標が不明瞭な場合に有効で、後者は未来予測が可能で、目標が明瞭な時に有効という。今がまさにその不確実性の時代だ。
このエフェクチュエ―ションはまさに自分の起業時に行ったことだ。ビジネスモデルは仮説であり手持ちの経営資源も極めて限定的なもの、そして唯一の財産は絶対にベーグル市場を創り出すぞという信念とリスクを恐れない若さだった。しかし起業を決意したからには身一つであってもできるところからやるしかない。いつも生徒達にも話していることだ。より完成度の高い事業計画書を作成するよりも、より望ましい経営資源を入手できるまで待つよりも、できることからスタートを切った方がよいというもの。全ては仮説なのだから。
僕の起業前に、経営コンサルタントのS先生からアドバイスを頂いた。僕が事業計画の中でどのようにベーグル&ベーグルを展開してゆくかを悩んでいた時期だった。林さん。いきなり成功ビジネスモデルなんて出来る訳じゃないんだよ。あのドトールコーヒーだって(既に当時500店はあった)試行錯誤しながら今の原形が出来上がっていったんだよ、と。なぜか30年近く前のことを今思い出した。当時エフェクチュエ―ションという言葉はまだ生まれていなかったが、ドトールの創業者の取ってきた行動はきっとエフェクチュエ―ションだったのだろう。
このように書いてくると、なんだかコーゼ―ションが悪く聞こえるかもしれないがそれは間違えだ。事業の立ち上げ期はエフェクチュエ―ションで始めるのが理想だが(そうするしかない!)、成長期に入り事業が加速するタイミングではコーゼ―ションが有効だと思う。そして成熟期も半ばに入り、衰退期に至ったタイミングでは再度エフェクチュエ―ションが必要とされる。つまり経営ステージによって経営者に求められるものが変わるということだ。理想はエフェクチュエ―ション的な創業社長がいて、それを支えるコーゼ―ション的な幹部がいて、かつてのホンダやソニーのようなパターンであればステージ論は不要となる。
しかしよくよく考えてみれば、人生そのものが不確定要素の塊みたいなもの。思い通りの人生なんてありえない。基本的にはエフェクチュエ―ション的な柔軟性のある生き方の方が生きやすいのではないかと思うが、人間においても成長ステージにおける選択は、企業の場合とそう変わらないと思う。如何?