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社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
このROCKY通信では、皆さんが、人生やビジネスのヒントとなるようなお話をさせていただければと思います。
皆さんのお役に立てましたら幸いです。
深川江戸資料館
子供のような知的好奇心を久々に味わった。所用で森下(江東区)に行ったついでに、ここ10年でトレンディタウンとなった清澄白河エリアを散策していた。お洒落なカフェやベーカリー、ジェラテリアなどが集まるメイン通りを歩いていて「深川江戸資料館」なるものを発見。周囲とは異なりいかにも昭和の公共施設といった感じで、いったんは素通りしたが気になったので入ってみた。施設は簡単に言うと江戸後期の下町深川を再現したテーマパークだった。最初はさっと見てすぐに立ち去ろうと思っていたのだが、いったん見始めるとこれが実に面白い。原寸大で再現された江戸の町並みは約200年の昔にタイムトリップさせてくれた。
江戸深川の全景
地下から2階まで吹き抜けとなったその町の全体を展望コーナーから鳥瞰できるようになっており、そこから階下に降りて行き江戸の深川を散策するというコースだった。リアルサイズなので本当に当時の深川に迷い込んでしまったような錯覚に陥る。江戸の下町なので商家と長屋がメインで展示され、そこに火の見櫓や屋台なんかが再現されている。時刻の変化と共に照明が変わり、臨場感も加わる。家屋には靴を脱いで上がれるようになっており、その雰囲気を体感できるのも良かった。商家には材木店、船宿、米屋、八百屋、食堂などがあり、当時の深川が木場と連動した木材商売や運河を利した物流業がベースだったことがわかる。
長屋外観とその内部
今回最も面白かったのが長屋だ。下町の長屋は1所帯の割り当てが5畳というのが基本単位となっており、そのうち4畳が畳での寝起きと生活する空間。そして半畳が台所、残りの半畳が玄関だ。今でいう1K。シニアボランティアの方に、これはひとり者用の部屋ですよね?と尋ねると、何人家族でもこの1部屋だという。プライバシーゼロ。押し入れすらもない。驚いてしまった。一体みんなどうやって生活していたというのだ?風呂は銭湯、トイレは共同なので部屋には無い。しかしそんなことより、リビングとダイニングとベッドルームが4畳分というのは衝撃的だった。また、かまどと畳がほぼ接しており、江戸の下町に火事が多かったというのも納得だ。ただ、一度この部屋で生活してみたいという気持ちになった。もちろん一人でだけど。笑 狭いながらも手を伸ばせば必要なものにすぐ届く。あらゆる無駄が削ぎ落されたようなシンプルな空間は、慣れれば案外気持ち良いかもしれない。隣家の音も筒抜けだが、なんだか楽しそう。思わず想像を膨らませてしまった。
長屋の入口の扉には、例えば「松次郎」と名前だけ書いてあり、姓が無い。シニアボランティアの方に聞くと、当時の町民には名前しかなかったそうだ。そんなことも知らなかった自分が恥ずかしかった。トイレは長屋の脇にあったが、扉の上半分は無し。つまり脇を歩く人から丸見え。お爺さんによると防犯目的だったらしいが、用を足している時にご近所の誰かに見られたくないなあ。。。
屋台(上から蕎麦屋、天ぷら屋、いなり屋)
あと気に入ったのが屋台。蕎麦屋、天ぷら屋、いなり屋があったが、どれもコンパクトながら実によく出来ていた。いなり屋は高さ1mしかなく、あまりにもミニチュアでカワイイ!と声が出てしまった。いずれも日本のファストフードだね。気の短い江戸っ子がパッと買ってパッと食べて小腹を満たす粋な食文化だ。蕎麦屋台をじっくり見てみたのだが、湯沸かし、つゆ鍋、どんぶり等の道具や食材がきちっと収納できるようになっており、また屋台ごと人力で持ち運びが出来るようになっている。日本人の職人的器用さがこんな作りにも発揮されていたのかと少し感動。
この資料館は区が運営するもので、地域の歴史や文化を継承してゆこうということがミッションだそうだ。こういうものは本当に大事だと思う。地域に住む人々の誇りや地元意識の醸成に大きな役割を果たしていると思う。それを観光資源としても活用しており一石二鳥だ。かつてこの地域の生まれ、育ちの部下がいたが、やはり歴史文化に基づいた地域性に強い誇りを持っていた。
親切で博識なシニアボランティア
感心したのはボランティアのシニアの方々だ。皆さん70代以上とお見受けしたが、博識博学でよく勉強されている。どんな質問をしても答えが返ってきた。またホスピタリティから積極的にコミュニケーションを取ってくれるので、さらに好奇心が高まる。外人客にも片言の英語ながら丁寧に対応されていた。説明を聞いている僕も、なんだかお爺ちゃんお婆ちゃんに昔話を聞いているようで、とても温かい気持ちになった。
深川江戸資料館HP