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社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
このROCKY通信では、皆さんが、人生やビジネスのヒントとなるようなお話をさせていただければと思います。
皆さんのお役に立てましたら幸いです。
僕にはロック兄貴が3人いる。血は繋がっていないのだが、実の兄のように慕っている。今日はその中の1人“ジョー・ストラマー”について書きたい。ジョーは僕の中では「パンク兄貴」だ。“THE CLASH”のリードボーカルにしてフロントマン。強い信念を持ち、いつも熱くてストレート。カリスマがありファンをこよなく大事にする情に厚い人。逸話もたくさん。誠実、そして正義感が強い。名言もたくさん残している。まさに兄貴だ。笑
50年の短い人生では、いろんな出来事が兄貴を襲ったし、大きな間違いも犯した。成功のために大事にすべきだったものを捨て、大成功し、そして多くを失った。それでも敬意を込めて兄貴と呼ばせてもらいたい。
1970年代の後半、中学時代にパンクの大波がロンドンで起きた。兄貴はその中心人物の1人だった。クラッシュのレコードは、高校時代によく聞いていた。16歳の時に出たアルバム“LONDON CALLING”のポスターをレコード店で見た時は衝撃だった。迷わず予約して買ったが、このアルバムは今もロック界の金字塔として燦然と輝いている。(ローリングストーン誌、ベストロック500アルバム中8位)
また政治や社会状況に無関心だった当時の若者にその目を開かせてくれたことも大きい。それも世界の。今なら「SDGsロッカー」だね。笑
実は週末、新宿の映画館で“Joe Strummer :The Future Is Unwritten”(ジョー・ストラマー 未来は描かれていない)というドキュメンタリー映画を観てきた。兄貴が生まれてから50歳で帰天するまでの激しい人生を幼馴染、友人、身内、元カノ、バンド仲間、ライバル、影響を受けたアーティスト、映画監督といった人たちが兄貴についての思い出やエピソードを語り紡いでゆくもので、その合間にライブの映像が流れるというもの。
後述するがその出演者の豪華なこと!映画監督は僕の最も好きなジム・ジャームッシュとマーチン・スコセッシ!ゲストたちはそれぞれ実に深いコメントをしていた。映画で感動したのはロックファンなら誰もが知る兄貴のクラッシュ時代の栄光の10年間ではなく、バンドが崩壊し奈落に落ちてそこから這い上がるまでの15年間のストーリーだ。そう、これはロック裏面史であり人間史なのだ。
再出発した新バンドのチケットが売れず、兄貴自ら会場近くの路上で通行人に声掛けしながらチケット売りをしていた。泣けた。そしてかつて盟友だったリードギターのミック・ジョーンズとの2002年の劇的な再会には嗚咽しそうになった。袂を分かった2人が、チャリティイベントでアドリブ共演したのだ。これは兄貴のステージにミックが飛び入りした形で実現した。
そして2度と演奏しないと兄貴が決めていた“White Riot”を2人で演った。興奮するオーディエンスの中、兄貴がミックに向かって“A!A!”と叫んでいた。これはその曲の最初のギターコードだったのだ。それをすぐに察して演奏を始めるミック。な、なんという感動のワンシーン!兄貴の死で2人はこれが本当に最後となってしまったが、ロック史に残すべき美談だ。さらに諸々詳述したいのだが…
ご興味のおありの諸兄はぜひこの映画を見てもらいたい。これはロックに人生を捧げた男の50年の生き様だ。
※ご関心ある方は3/21(木)まで新宿シネマートにて上映中
兄貴はパンクスとしては異例で、労働者階級ではなくエリート階級の出で父親が外交官だった。そのため幼少時代は家族とともに世界を転々とした。実は兄貴はクラッシュ時代、それを隠したがっていた。労働者階級のヒーローという役割だったからだ。兄貴は50歳で自宅のソファで突然死するまで、天国と地獄をともに味わった。死の直前は暖かい家族に恵まれ、焚き火とキャンプをこよなく愛した。ジョー・ストラマーとしてではなくジョン・グレアム・メラー(兄貴の本名)として。
※映画の著名ゲスト
ジム・ジャームッシュ(映画監督)
マーチン・スコセッシ(映画監督)
ボノ(U2)
スティーブ・ジョーンズ(セックスピストルズ)
ボビー・ギレスピー(プライマルスクリーム)
コートニー・ラブ(ホール)
デビッド・リー・ロス(ヴァンヘーレン)
ジョニー・デップ(俳優)
マット・ディロン(俳優)
ドン・レッツ(プロデューサー)
他
※ジョー・ストラマーの名言