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【 ROCKY通信 】第205回 正統派角打ち「魚住酒店」@門司港

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【 ROCKY通信 】第205回 正統派角打ち「魚住酒店」@門司港

角打ちの名店「魚住酒店」

 

門司港という街をご存知だろうか?一般的には九州の玄関口で、関門トンネルや関門海峡を思い出すのではないだろうか?僕にとっては小倉の祖父母のところに帰省する際に通過する街だった。母がこの街を愛しており、たまにその途中で立ち寄っていた。ここ20年近くはご当地グルメとして焼きカレーも好評を博している。大正3年建造の門司港駅の駅舎は重文に指定される街のシンボルで、品格とエレガントさを兼ね備える。最も行ってみたい駅のランキング日本一だそうだ。

年末、そんな門司港に現役社起大生N氏とフィールドスタディに行ってきた。彼の課題は地域再生。特に衰退しつつある門司港商店街の活性化だ。そして僕の中ではずっと気になっていた角打ちの名店「魚住酒店」の訪問も目的のひとつだった。もちろんフィールドスタディの一環として!笑

 

門司港駅

 

年末の夕刻、国電経由で門司港入りした。まず商店街とその付近を練り歩いた。なんともノスタルジックな商店街。勢いを失ってしまった地方商店街は結構歩いたが、ここはなんとも良い枯れ方だ。枯れるなんて言ったら怒られそうだが、昭和の隆盛期からの商業史を感じる。まるで「三丁目の夕陽」的な。

門司港自体の発展の歴史はさらに明治時代まで遡る。戦時中の大陸への石炭輸出の起点であったことから日銀や三井、三菱、日本郵政といった名門の西の拠点でもあったし、敬愛する出光の発祥地でもあった。街の一角にはそれら企業のノスタルジックな石造りの建築群が今も存在する。

話を戻そう。商店街は興味をそそられる昭和初期のテーマパークのようだ。シャッターも半分以上は閉まっているのだが、商店街の店々は面構えでしっかりと存在を主張していた。再興を諦めてしまった商店街には決して見えない。下りたシャッター越しにも、オーナーさん達のスピリットを感じた。またその商店街と交差する路地が素晴らしい。好奇心をそそられ、路地マニアの僕は思わず興奮してしまった。

 

 

門司港商店街

商店街の個性的な店々

 

 

さて、今回のロキ通の主題は角打ち「魚住酒店」だ。商店街から歩くこと5分。山際の住宅街の路地に立地していて危うく通り過ぎそうになった。N氏の事前調査によると、店主は何とN氏の中高時代の陸上部の先輩だというではないか!映画のセットのような佇まいの扉を開けて中に入ると、そこは思い切り昭和ワールド。店主にそれを言うと、実際映画のロケで何度か使われたそうだ。比較的時間も早かったので、店内に先客はいなかった。

魚住氏がカウンターに立つと、店主とN氏の旧交談義が始まった。僕は乾いた喉にキリンラガーをグーッと送り込む。ビールは客が勝手に冷蔵庫から出して飲むシステムだ。カウンターの上には、柿ピーやじゃがりこといった乾きモノの小分け袋があり、それをツマミに飲る。これも袋ごとの課金で面白い。何だか駄菓子屋のおじさんと話しながら飲んでいる気分だ。部活仲間や当時の先生達の話で盛り上がるN氏らを尻目に、狭い店内をくまなく眺めて回る。

そこでは角打ちをこよなく愛した僕の小倉の爺ちゃんがトレードマークのベレー帽姿で現れて話しかけられるような錯覚もした。「ヒロキちゃん久しぶりじゃね。あの悪そ坊主がついに還暦になったちね?」と。小学校に入る前の記憶で、爺ちゃんによく角打ちに連れて行かれたことがフラッシュバックしたからだ。角打ちでは爺ちゃんはいつも昼からコップ酒を煽っていた。ベレー帽にジャケットで飲む爺ちゃんはダンディだった。自分も爺ちゃんの真似をしたくなり、日本酒を頼んだ。

こちらは店主が大振りのガラスコップになみなみと注いでくれる。本当になみなみと。若松の蔵元で仕込まれた魚住オリジナルの純米酒をグビグビとやる。スッキリ系のなかなかイケる味だ。ちびちび飲むのが恥ずかしくなるような力感あるコップ酒。グイグイ飲んでお代わりをするうちにすっかり酔いが回って来た。つい話し声も大きくなる。立ちスタイルなのだが、なぜか心地よい。酔眼する中、これは英国やアイルランドのPUBと全く同じだな、地域のコミュニティのハブだったんだな、などと思いを巡らせる。

 

魚住氏(右)とN氏

 

店主はどちらかと言うと寡黙で、こちらが話し掛けてそれに応じてくれるというスタンス。ちょうどいい距離感だ。哲学者然とした風貌、そして商売気が皆無なのも良い。当夜は角打ちの定義を教えてくれた。以下その内容だ。

 

 その1 角打ちとは、酒屋の片隅に設けられた立ち飲みコーナーである

 その2 角打ちとは、仕事上がりの港湾労働者や土木関係の労働者といったブルーカラーの人々が帰宅前に(昼間から)ちょいと立ち寄る場である

 

さすが約100年の歴史を誇る名店の3代目、シンプルかつ明快だ。最近東京には角打ちを名乗る店が増えているが、それらはいずれにも上記に該当しない。魚住氏によるとそれらは「立ち飲み居酒屋」と分類されるそうだ。バッサリ!笑

 

こういう絶滅危惧種のような貴重な店は大事にしたいのだが、「魚住酒店」は当代で幕を閉じることになるという。それを聞いた時、言葉が詰まってしまい会話が途切れた。地元愛溢れる方が誰か事業継承いや文化継承してくれることを願うばかりだ。Nさん、ぜひ探し出してマッチングを頼みます!

 

 

編集後記

港町には人恋しさを紛らせてくれる良い酒場が必ずある。ここ「舘」はカクテルスナックという珍しい業態で、80間近のばあちゃんが最高のマティーニをシェイクしてくれる。客は初対面同士だがあっという間に友達になれる。門司港は哀愁をたたえつつも温かい街だった。

 

ばあちゃんが切り盛りする名物スナック「舘」(みんな初対面)


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