メールマガジンご購読者の皆様
いつもメールマガジンをお読みいただきありがとうございます。
社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
このROCKY通信では、皆さんが、人生やビジネスのヒントとなるようなお話をさせていただければと思います。
皆さんのお役に立てましたら幸いです。
読者の皆様、明けましておめでとうございます
今回でロキ通はついに200号を迎えたそうだ。そうだというのも無責任な話だが、当人は本当にそうなの?と意外なのだ。そもそもロキ通は“Illogical Thinking(イロジカルシンキング)”というサブタイトルで、世の“Logical Thinking”万能志向に対するアンチとして思うがままに書く!というスタンスで始めたものだ。おかげさまで理屈抜きで自由に書かせてもらっている。支離滅裂や論理破綻をご容赦いただき、にも関わらず読者数も順調に伸びているそうで喜ばしい限りだ。
さて今朝、仲良しの外国人から「ヒロキは年頭の志を漢字一文字で何を表す?」と聞かれた。それを通年のテーマにしたら良いと。文章とかにすると長いから漢字一文字。「それなら忘れないし冷蔵庫に貼っておいてもいいでしょ?」と。「目標のようなものよりも心の在り方のような方がいいよ」とのアドバイスもあった。こういう場合は経験上、外にネタを探すより内から掘り出した方が良い。夕方まで読書しつつボーっと自問してみた。そして出て来た。「喜」という文字だ。
僕の名前は浩喜というのだが、これは大きな喜びという意味だそうだ。留学時代に中国や韓国の学友から良い名前だねとよく褒めてもらった。「いつも喜んでいなさい」というのはパウロの有名な言葉だが、還暦を機にそのような生き方をしてゆこうと思った。ポイントは「いつも」というアタマの三文字だ。誰だっていいことがあれば喜ぶ。
しかしこの聖句は、真逆の嫌なことの最中にあっても喜んでいなさいということを意味している。簡単ではないが両親が思いを込めてくれた名前は、僕のミッションとも言える。名は体を表すというではないか!笑
「喜」が通年の、いや残人生のテーマと決めてから神社に出かけた。そこは以前から何か「気」が良いと感じる場所で、なぜかそこへ行くと清められるような、邪気が払われるような感覚が得られる不思議な場所なのだ。1800年もの歴史も由緒もある神社なのに、あらゆる業や欲を削ぎ落としたかのような簡素な佇まいがなんともいえず好きだ。偶然にもその本殿の正面には龍の木彫りがあり、天井には見事な龍が描かれている。今年は辰年なのでこいつは春から縁起がいいや!と喜んでしまう。
帰宅すると地震速報がTVに映し出されていた。一瞬東北の震災の悪夢が脳裏を過ぎった。被災された方々には大変申し訳ないが、これは伏龍が人類への怒りを表しているのか、それとも飛躍するための屈伸運動なのだろうか?
以前より年始号は独自の経済予測をしてくれと社起大事務局から言われていたが、正直その手のことにもうあまり興味は無い。これまで散々やって来たから。希望的観測なら言えるが、僕は経済学者でも無いしましてや未来学者でも無い。言えることは経済活動は人間が生み出すもので、株価も含めそこにおけるアップダウンにはあまり意味はないということだ。
時代は一段と複雑化し変化し続けているが、それはいつの時代だってそうだ。そしてそれらを作り出しているのは人間だ。しかし残念ながら人間自体の本質は何ら変わってない。これからもきっとそうだろう。それが証拠に未だに正義という名の下に戦争・紛争が繰り返されている。SDGsの真因にあるのも人間の業だ。
おっとまた横逸れしたが、経済もその歴史が示すとおり浮沈を繰り返す。人生に近いものがある。経済活動は人間が行うのだから当然と言えば当然だ。ロボットやAIによって未来は映画ブレードランナーのようなことにならんとも限らんが、気に入らなければ人間の手でそれらを葬り去ればいいだけだ。
意図して経済構造を複雑化し、それをある種の強迫観念として新たなビジネス市場を拓き、バブルマネーを生み出して来た訳だ。一部の人間がそこで巨利を得たとしても、自分の物差しで判断し、合点がゆかなければそこに乗っからない勇気を持てればいいだけの話だ。
その為には各人が「ソーシャルミッション」を持ち、それを全うすることに集中すればいい。時代の変化も、経済環境の変化も関係ない。
今年が皆様にとって、良き1年となりますように!