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社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
このROCKY通信では、皆さんが、人生やビジネスのヒントとなるようなお話をさせていただければと思います。
皆さんのお役に立てましたら幸いです。
最近、メディアでもよく聞く話だが日本の若者達は自己肯定感が低いそうだ。少し古いが内閣府の調査結果でも世界の先進国7カ国との比較でハッキリとその結果が出ている。※
「自分自身に満足している」や「自分には長所がある」と言った問いに対する答えは最下位である。隣国の韓国も近しい傾向はあるのだが、日本はそれをはるかに下回る結果だ。これは国家レベルの社会課題だろう。自分もその課題解決に責任を持つ一人だ。だから社会起業家育成に取り組んでいる。
なぜこのような結果になったのだろう?
いつからそのようになってしまったのか?
スポーツほか多くの分野で世界的に活躍をする若者が増えているのに、不思議でならない。
自分の結論を先に述べる。大人たちが自信を失い、迷っているんだから、子供たちがそうなるのは必然というもの。子供が自分の意志で決断すること、実行すること、そしてその結果には責任を持つということを教えていないことが問題の根じゃないだろうか?
またそれがどういう結果になろうと、俺たち(親や先生)は君たちを後ろでちゃんと見守っているよという安心感を与えられていないのではないか?そしてそのチャレンジを褒めることも大事だ。ただその大前提として、大人たちがソーシャルミッションを持って自分の人生を生きようとする本気の姿を見せていることが必要だ。自分が出来ていないことをアレコレと口先だけで言って納得するほど子供たちも馬鹿じゃない。
しかし自分も含めた大人も辛いところだ。画一化された価値観の中で、なんとかレールに乗っかって、自分で考え判断することなく生きてきた訳だから。昭和中期以降の日本の核家族という社会単位の中には平均的で公約数的な価値観しか無かったのだから。
農耕型の村社会をベースとする日本は、戦後はそうした均一化された個が組織の部品としての機能を果たすことで発展してきた。教育自体もそのような人材を大量に生み出すことを目的としてきた。個の発露よりも集団の協調が重視されてきた。そこには同調圧力もあり生きづらくもあったとは思うが、国も企業もそれで経済的には成長してきたのだから、希望はあった。何事も、みんなで渡れば怖くない的な自信もあった。
しかしここにきてバブルの崩壊後の30年間、その原因を正すべく?過去の日本モデルを否定し、急に狩猟民族的な個の要素が喧伝され、自己責任とか実績主義とか言われ出した。ベビーブーマー世代はその変化についていけずに硬直し萎縮している。今も。その後に続くX、Y、Z世代と言われる人達はそういう大人を見ているので、自己肯定感を持てないのは当然の話だ。
子供だって自信を持てていない大人(親や先生)の様子くらい理解している。親は組織でされていること、つまり組織の価値観を知らず知らずのうちに家庭で教化しているのかもしれない。学校の先生も。10年前に小学校のPTAに関わっていた時に目の当たりにした。トップである校長はリスクを取らない。子供に冒険をさせることもまずない。親のクレームや教育委員会からの指導が怖いから自然に腰が引ける。
そこは完全に企業組織の縮図だった。若い先生たちは希望を持って教職に就くのだが、次第にモチベーションは失われてゆく。1人だけ米国帰りのユニークな教育をする先生がいた。子供のいいところを見つけて、それを伸ばそうとする人だった。スライムを使った授業やロックの動画を見せて子供に対話させる授業をしたり。素晴らしいと思った。しかしその先生は干されてしまい、私学に転職された。子供からは圧倒的な支持を得ていたにも関わらず。
さて、どうしたら良いだろう?
パンデミックもあり、歴史的な時代の転換点にある中で正解は無い。できることは大人たちがソーシャルミッションを確立あるいは再認識し、その実現に向けて生きる姿を見せることだと思う。エマソン言うところの自己信頼であり、その実践だ。大人だって将来不安でいっぱいだし一朝一夕には行かないだろうが、大人が変わり既成の価値観を転換してゆくことが最終的に子供の自己肯定感につながると思う。大人はここを転機と捉えて学び直し、新たな価値観を提示し、次世代にバトンを渡さねばならない使命がある。
※内閣府 日本の若者意識の現状 ~国際比較からみえてくるもの~