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【 ROCKY通信 】第161回 坂本龍一とは

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社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
 

このROCKY通信では、皆さんが、人生の転機を逃さず、新たな人生目標を定め、社会貢献ビジネスを創業していくヒントとなるようなお話をさせていただければと思います。

 

皆さんのお役に立てましたら幸いです。


 
 

【 ROCKY通信 】第161回 坂本龍一とは

坂本龍一 近影

 

坂本龍一が逝った。忌野清志郎も逝ったし、昭和という一時代が本当に終わった気分だ。俺の終わりも遠くない。

今、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)で一番好きな1980年のライブアルバム“PUBLIC PRESSURE”を聴きながらこれを書いている。リリースは高1の時だった。YMOといえばテクノなのでスタジオ録音が原型なのだが、なぜか僕が好きなのはこのアルバムと解散時の“SERVICE”というライブアルバム。このバンドはテクノを表現しつつ実は根はロックだったと“PUBLIC PRESSURE”は証明している。

YMOはスタジオよりもライブがいい。アメリカに住んでいる従兄弟の兄ちゃんが、「ロスでライブを見たけど、日本のメディアが言ってるYMO礼賛はでっち上げだぜヒロキちゃん。ライブに来てるオーディエンスは殆ど日本人だったぜ」、と。それを聞いてなんか少し悲しかったけど、今となってはYMOは小島よしおだったんだと思いたい。「そんなの関係ねー!そんなの関係ねー!」当時の彼らはそれくらいのパワーがあった。今アルバムを聴きながらそれを感じる。PUNKにも負けないパワーを。

 

 

1980年 テクノカット ポイントはもみあげ

 

昨年から新聞等で坂本龍一の近況の記事が出始めていたので、この日が来るのは近いと思っていた。最初に彼を知ったのは高1の時。YMOが世に出た時。ハードロックや当時全盛のPUNKが好きだったのでテクノには興味はなかった。が、周囲の仲間が男女を問わず全員が聴いていたという理由だけで聴いてみた。僕はあまり感化されなかったが、音楽としてだけでなくファッションも含めて社会現象となった。

部活仲間が、ある日急にテクノカットに。聞くと「やっぱテクノじゃろ。昨日の風呂上がりに自分でハサミで切ってみたんじゃ」と。それが普通だった1980年。

 

音は軽快なテクノだが実は深さもある。だから飽きが来ない。その深みはきっと坂本龍一が出していたのだと思う。あと、バンド名もそうなのだが何かアジア人、黄色人種として白人文化への反骨も感じた。そこは10代の僕も共鳴した。それをテクノで表現したのが真骨頂だ。音楽はテクノでもスピリットはロックだったのだ。PUNKだったのだ。

おおっ今、一番好きな“THE END OF ASIA”が鳴り始めた。これを大学時代に近所迷惑も顧みず、窓を開け放って下宿で超大爆音でよくかけていた。これは本当に好きな曲だ。ただのテクノではない。クラシックやブルースも統合したオンリーワンのカテゴリー。Zeppelinの“Stairway to Heaven” やQueenの“Bohemian Rhapsody”と同格だ。歌詞無くしてこの一楽曲をどうやってここまでの高みに到れたのか、、、恍惚と内省、主張と抑制がミックスされた至高の名曲。

1月に山口社会起業塾の最終発表会の場でも環境音楽として使った。誰一人気がついてなかったけどね。涙&笑

 

 

坂本龍一&忌野清志郎 コラボシングル 1982年

 

坂本龍一のことは嫌いだった。高橋幸宏の職人っぽい軽妙なセンスの方が好きだった。坂本龍一は教授と呼ばれなんだかインテリぶってナルシズム全開で、どうしても好きになれなかった。知り合いのモデルの子から坂本龍一がいかにモテ男だったかを聞かされていたのも一因だったのかもしれない。笑 同時代のロックスターでいうなら忌野清志郎は大好きだった。ずいぶん影響も受けた。同じ化粧したパフォーマーではあっても、彼の表現者としての無垢な姿勢が好きだった。

 

稀有な才能ある坂本龍一は映画音楽、俳優として、社会活動家として表現領域を拡げていったが、きっと孤高の苦しみもあったのだと思う。彼にしか見えない景色の中で。後でわかってきたのだが、父親の影響もあり思想哲学にも傾倒していたそうだ。晩年の最後まで難解なハイデッガーと格闘していたそうだ。先日、僕も娘にハイデッガーのことを聞かれてまともな返答が出来なかった。

 

坂本龍一を好きになったのは、30年くらい前。雑誌の対談で娘さんのことについて聞かれて、「俺の曲のことはあまり知らないみたい。いつもLUNA SEAとか聴いてるみたい」と。これには笑った。なんか彼の飾らない人柄を垣間見た気がした。

 

やはり評価というのは時間を必要とする。僕もYMOのライブアルバムだけは好きだったが、傾倒していた訳ではない。しかし、今あらためて聴き直すと、ホンモノと認めざるを得ない。これは「テクノロック」というオンリーワンのカテゴリーだったのだ。それも思想をベースに持った。同時代にはわからなかったけど。凡夫である僕は40年かかってやっとそれが分かった。

1980年の当時、ライディーンに合わせて原宿ホコ天で踊りまくっていた同世代の仲間達は今頃どう思っているだろうか?

 

 

名盤 PUBLIC PRESSURE 1980年


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