メールマガジンご購読者の皆様
いつもメールマガジンをお読みいただきありがとうございます。
社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
このROCKY通信では、皆さんが、人生の転機を逃さず、新たな人生目標を定め、社会貢献ビジネスを創業していくヒントとなるようなお話をさせていただければと思います。
皆さんのお役に立てましたら幸いです。
栗山監督、優勝の瞬間
先月来テレビはWBCネタで持ちきりだった。特に優勝してからはそれ一色。主にニュース観戦していたが、それまでテレビを占拠していた戦争や地震の悲劇の話題も吹っ飛んでしまった。岸田首相のウクライナ訪問や習主席のプーチン大統領訪問といった大きな政治ネタも、ついでの放映だった。やはり国民の、庶民の根源的な本能というのは凄まじい力がある。どんな理にも勝ってしまう。
今回の放映を通じ、スーパースター軍団よりも僕は栗山監督の姿勢、表情をずっと追っていた。そして「見えないものを信じる力」を改めて強く認識させられた。選手の潜在能力への信頼、どんな状況にあっても勝利を信じる想い。
栗山さんのことは詳しく知っていたわけではないが、これまでの監督像とは大きく異なるニューリーダーと感じた。それはスポーツの世界にはとどまらず、あらゆる組織のマネジメントスタイルに影響を与えるものであった。
栗山監督の現役時代
選手として特筆する実績を残した訳ではなく、オーラを纏った王、長嶋氏を筆頭とする名選手から監督となった人々とは明らかに異なる経歴。それゆえ実績や才能溢れるスター選手からすると、ついて行くには違う理由が必要となる。それには戦略構築能力か人格しかない。栗山さんはきっと両方持っているのだろうが、人徳のようなものを画面越しに強く感じた。
本来柔和な顔立ちの栗山さんが、キュッと口元を結んでチャンスにもピンチにも感情を封じ込んでいた。戦局では胃に穴が開きそうな局面の連続だったと思う。またあれだけのスター軍団を擁して、起用する選手の決断、優先順位付けだけでもきっと苦渋の連続だったと思う。
勝負師なのに、なぜか非情になりきれない優しさも感じた。WBC期中に怪我でチームを離脱したカープの栗林や、主砲を期待されつつも結果が出ていなかった村上へのコメントからもそれを感じた。
これまでのプロスポーツにおけるリーダー論でいえばおそらくタブーだったのだろうが、この人の言動を見ていてどのような戦局でもなぜか安心感を覚えた。きっと選手たちも同じだったのではないか。また海外メディアから賞賛を浴びたチームジャパンの礼節、気配りも栗山さんの美学が反映されたものだと感じた。
これまでのリーダーとしての監督像は、
選手・監督としての実績、実力による信用 → 選手を競わせて起用 → 戦略立案 → 試合に挑む
というのが主流だった。つまり実績を背景とした信用をベースに、勝つというゴールに向かってのパズルの組み替えが監督の仕事。そういう点で言えば、先週のメールラジオで書いたジャック・ウェルチさんもそうだ。
それに対し栗山さんは、
ビジョンを語り有能な選手を広く募る(というより巻き込む) → それぞれの持ち味を出せるような環境づくり → 戦略立案 → 基本選手を信じて試合に挑む
という印象だった。過去の実績ではなく選手への信頼をベースに、勝つ為に選手が自分の役割を認識し、力を発揮するための環境づくり。もちろんジャパン史上最強のスーパースター軍団だったからこそ為し得た偉業だろう。しかしあの強者揃いのライバル国を見ていると、今回もし違う監督であったなら優勝という結果になったとは思えない。
最大のポイントは「個」の力を最大限に引き出すというところ。教育という言葉が相応しいのかもしれない。東京学芸大で教育を学び、大学教授も務めてきた肩書きはダテではない。そう、この人は戦略指揮官である以前に教育者なのだ。愛が選手のココロに着火するのだ。
勝てば官軍という。確かにそうだ。僕も優勝したからこそ栗山礼賛記事を書いているのかもしれない。ただ、仮に優勝に至っていなかったとしても彼のマネジメントスタイルは好きだし、共鳴したと思う。
自分が選手だったら、彼のような指揮官の元でプレーしたい。プロ野球という究極のサバイバルゲームで、選手としては実績不足という一見短所に見える栗山さんの過去が、実は長所となって生かされて無二の指導者へと成長させたのではないか。そう、短所だってアングルを変えることができれば、差別化の源泉となるのだ。そして最高の長所に変換できるのだ。
限界的な状況で戦うトップレベルのWBCという戦いの中で、栗山監督の示した新しいリーダー像は新鮮であり示唆に富むものであった。それは「見えないものを信じる力」だったと思う。
チームJAPANの優勝ポートレート