【 ROCKY通信 】第159回 「人生の転機?」それってチャンスだよ!その2 天井は友達だ | 【公式】社会起業家を育成するソーシャルビジネススクール 社会起業大学

セミナー

個別相談

資料ダウンロード

メールマガジン

講座案内

セミナー

個別
相談

資料
ダウンロード

メール
マガジン

講座
案内
NEWS & BLOGS 一覧へ戻る

ロッキー林のイロジカルシンキング へ戻る

【 ROCKY通信 】第159回 「人生の転機?」それってチャンスだよ!その2 天井は友達だ

メールマガジンご購読者の皆様
 

いつもメールマガジンをお読みいただきありがとうございます。

社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
 

このROCKY通信では、皆さんが、人生の転機を逃さず、新たな人生目標を定め、社会貢献ビジネスを創業していくヒントとなるようなお話をさせていただければと思います。

 

皆さんのお役に立てましたら幸いです。


 
 

【 ROCKY通信 】第159回
 「人生の転機?」それってチャンスだよ!その2 天井は友達だ

 

指折り数えてみると人生の転機と言えるものは5度ほどあった。先週も書いたのだが、転機には上昇気流の中での転機とフラット或いは下降気味のタイミングでの転機がある。今日はビジネス人生初期の転機について。上記で言えば上昇気流に乗ったつもりでいた中での停滞。英語でよく言う“struggle”と言うもの。あえぐと言うか、もがくと言うか。

 

6年の商社勤務を経て、米国のコーネル大学に留学した。貯めていた約2,000万の起業資金の全てをそこに注ぎ込んだ。当初は米国での起業を目指していた。6年の国内でのビジネス経験(ビフォー)、そして卒業後の夢の起業(アフター)をつなぐブリッジ(橋架け)となるのがビジネススクール留学だと確信した計画の実行。今社起大で提唱している転機を利した人生再設計も僕の経験に基づいている。

意気揚々と成田空港から飛び立った。留学時代の話はまた別の機会にするとして、2年間でなんとかサバイブした。留学期中にビジネスプランも書き上げた。コンセプトは日本食のファーストフード。そして卒業と同時に資金調達活動を始動。ツテを辿り何人にもプレゼンして回った。下手な英語を駆使して。

フードビジネスをすると決めていたので、僕に欠いていた現場経験も必要と考え、約1年半で店舗オペレーションの仕事もした。修行のようなもの。社員として店長職を2社(その一つがベーグル専門店だった)、アルバイトでキッチン職を2社。常時2つを掛け持ちしていた。いずれの修行も目の前でお客さんの笑顔を見れて、とても楽しかった。

 

ただ米国での資金調達は想定外に苦戦した。今でこそ寿司やラーメンが米国人のオシャレな日常食化して大盛況となっているが、1995年はまだ早すぎた。

プレゼンした超大物レストラン投資家のフィル・ロマーノ氏に言われた。「ヒロキ、君のやろうとしていることはなかなか面白い。だが市場が小さすぎる。この国の人たちは実は食に関してはとても保守的なんだ。日本食それも大衆向けのマーケットはNYやロスといった巨大都市にしか存在しない」と。実はコーネルで単独実施したプロジェクトの結果と彼のアドバイスは、悲しいかな合致していた。

 

1996年夏、僕には3択が残された。

 ① 予定通り日本食ファーストフードで米国での起業

 ② 香港をベースとした全アジアにおける寿司チェーンの共同起業

 ③ 東京でベーグル専門店の起業

 

初志貫徹で①をやりたかったが、なんせ資金が集まらない。留学費用で貯金は底をついていた。銀行は相手にしてくれなかったので頼るべきは投資だった。

②は香港で行なった市場調査の結果、かなりエキサイティングなものだった。ただ中国返還目前で政情不安があったのと、出資者のことを信用できなかった。

③は東京での市場調査の結果、マーケットは存在していなかったが、ゼロイチ市場創出の醍醐味があった。また直接ヒアリングしたパン業界の大物経営者たちが皆さん否定的だった。「ベーグルは日本人には向かないパンだ」と。どの選択肢も一長一短だった。

 

米国に戻り僕はその時住んでいたボストンで3ヶ月、毎日のように部屋の天井を眺めて暮らしていた。布団に仰向けに横になって。天井は僕自身の鏡であり、友達だった。元来は直感でスパッと決める方なのだが、あの時は長考した。ヘボ将棋のように。息苦しくもあったが、日々自分と向き合った。ポジティブな流れの中での煩悶。

ただ、ソーシャルミッション的に自分が社会で何を果たすべきか?ということよりも、どの選択肢を選ぶことが自分の成功に繋がるのか?と言う視点が中心だった。来る日も来る日も天井を眺めていた。ライトブルーの綺麗な天井だった。「我思う、故に我あり」と言うデカルトの言葉が自分と一体になる不思議な体験もした。そんな時、フッと自室の窓外に目をやると、シマシマ尻尾の可愛いらしいアライグマの子供達が木登りをしていた。

 

最終結論は③にした。最初に②は落とした。お金はあっても、人として信頼できるパートナーとは思えなかったことがその理由。そういえばMITのレスター・サロー教授に飛び込みで中国返還リスクについてのアドバイスももらいに行ったな。

①と③は究極の選択。結局③にしたのはベーグル専門店で店長していた際のインスピレーション。多くのアジア系の女性が初体験のベーグルに好感を持っていたこと。資金調達が①よりもしやすいと想定したこと。実績を出せればいつでも海外進出は出来ると楽天したこと、そして何より自分もベーグルが好きだったこと、等々。

 

この決断を下し、すぐさま実行に移した。そして僕の起業ストーリーが始まった。天井を眺めていた日々は僕の人生の中では一大転機だった。苦しくもあったが今となっては良き思い出だ。①や②を選んでいたら、一体どんな人生が待っていたのだろう?タラレバは無意味とは分かりつつも想像してみると楽しい。人生は決断と実行の繰り返しだ。そこには何の保証もない。見えないものを信じて前に進むしかないのだ。勇気を持って。独立自尊とはそういうことだ。

 

転機は人生の宝だ。この貴重なプロセスこそが人生をより豊かにしてくれる。人間を成長させてくれる。さあ読者の皆さんも心機一転、前進だ!


メールマガジン登録(無料)はこちら


    【オンライン無料セミナー】
    「人生の転機」を逃さず、
    起業にチャレンジしたい人のための
    「社会貢献ビジネス創業」特別セミナー