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社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
このROCKY通信では、僕が社会起業家の育成・支援に携わっている中での経験や僕自身の人生での学びや考えをシェアさせていただいています。
皆様の起業のお役に立てられましたら幸いです。
いよいよ今週末はクリスマスを迎える。街にはかつてほど商売色が出ている気はしないが、静かに盛り上がっている印象だ。昨夜たまたま食堂で同席したインド人が言っていた。日本はクリスチャンの少ない仏教国なのに、なぜクリスマスを祝うのか?と。来日して1年も経たない方だったので、そういう何でもあり的な日本の一面にまだ馴染めないのだろう。彼はヒンズー教徒なので、母国の実家でも近隣でもそのような風習はないと笑っていた。
さて今日は、信仰・宗教という話ではなく普遍性のある古典の名著としての聖書にある大好きな珠玉の言葉を以下紹介してみたい。多くの方がご存知であろうものばかりだ。
「狭き門から入れ。滅びに至る門は大きく、その道は広い。そしてそこから入って行くものは多い。命に至る門は狭く、その道は狭い。そしてそれを見出す者は少ない」
易きに流れるのが人間の性。誰だって楽に生きたいし辛い思いはしたくない。だがここで問われるのは「君の人生のゴールは何だ?」ということ。短い人生を悩みなく通過することが人生の目的なのか?苦難の道をあえて選択し、煩悶しつつも成長することが大事なのか?キリストの言う真の幸福は後者にあると言うものだ。
僕の半生は、ほとんど直感で選択を繰り返してきたものだったが、狭き道を選択してきたという意識はない。だが、他者からは何でそうするの、とよく言われる。狭い広いをロジカルに判断して行動するのは性に合わない。
「人の子は、仕えられるためではなく、支えるために来た」
自分が迷いの時期にあった時、この言葉と偶然出会って救われた。そして残りの人生をこの言葉とともに生きようと決意した。ここでいう人の子というのはイエス自身であり、神の子なのであるが、俗人である自分もそうなりたいと心底思った。そこに自分が生まれてきた意味があるのだと認識することで、全ての過去の選択つまり自分の小さな歴史が意味を持てたように思えた。ジョブスの言うところのコネクティング・ドッツ。僕の残りの人生はこの言葉とともにありたい。
「身体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者どもを恐れるな。むしろ身体も魂も地獄で滅ぼす力のある方を恐れなさい」
権威者、権力者は我々の肉体(命や富や地位も含めた外形的なもの)の生殺与奪の力を持っている。しかし、魂まで奪うことだけはできない。自らが正しいと思う発言をし、堂々と自分の信じる道を歩けと言われている気がする。勇気をもらえる一言だ。牧師でもあった19世紀の哲学者ラルフ・エマソンの教えにも通じる。
「全て重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」
誰かからこんなことを言われてみたい。きっと誰しもそう思うだろう。全てを受け入れてくれる絶対愛を感じられる言葉だ。人生には辛いことが頻繁に訪れる。最悪の事態にあっても、これを聞くだけで一呼吸入れ、また歩き出すことができる。
「私はあなたがたを悔い改に導くために、水で洗礼を授けているが、私の後から来る方は、私より優れておられる。私はその方の靴をお脱がせする価値もない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」
これは預言者ヨハネの言葉だが、何と言う謙虚。私の後から来る方、つまりイエスの絶対的な力(神)に対する敬意と自らの謙遜。実はこの後にまた震えがくるくだりがある。ヨルダン川で民衆に水の洗礼を授けていたヨハネのところにイエスが現れたのだ。ヨハネは、「本来なら私があなたから洗礼を授けていただくべきなのに」と進言したのに対し、イエスは「私はあなたから水の洗礼を受けたいと。全ての行いが成就するためにと」。
そしてヨハネから洗礼を受けたイエス。この深い信頼のやり取りは、イエスの生誕、十字架における死の場面とともに、聖書におけるピークの一場面だと思う。
「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」
マタイの福音書に書かれたあまりにも有名な言葉。実にシンプルな一文だが、聖書に書かれている言葉で最も実行困難なものだと思う。人は誰しも自分が一番可愛い。その自分に対する愛と同じレベルで他人も愛せという。それが敵であってもそうしろという。敵を愛し敵のためにも祈れと。今の自分にはまだまだ到底できる内容ではない。いつかそうなれたら良いと思う。
クリスマスから年末にかけての最後の1週間、自分に起きた出来事、家族に起きた出来事、余裕があれば国内外で起きた出来事の振り返りをしつつ、静かに聖書を手にするのも悪くない。そして希望に満ちた来年度を迎えよう!
ps.
もし聖書にご興味がおありの方は、僕の最も好きな映画作家ピエル・パオロ・パゾリーニの「奇跡の丘」という映画を観て頂きたい。本作を20代前半で観た時は退屈して途中で寝てしまった。しかし今や年に1度は必ず見直す映画となった。キリストの生涯を通じて人間の深淵を描き切った名作だ。毎回のように新たな発見がある。