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【 ROCKY通信 】第128回 小倉 旦過市場の思い出

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社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
 

このROCKY通信では、僕が社会起業家の育成・支援に携わっている中での経験や僕自身の人生での学びや考えをシェアさせていただいています。
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【 ROCKY通信 】第128回 小倉 旦過市場の思い出

年末の買い出しで活気溢れる旦過市場

 

両親が小倉出身なので、幼少期から高校を卒業するまで年に数度は小倉に帰省していた。僕自身も生まれは小倉である。北九州市という呼称はどうもいまだにピンと来ないので、つい小倉と呼んでしまう。先週、4月に続き2度目の大火で炎上する小倉旦過(たんが)市場のニュースが全国に流れた。詳しくはわからないが、今回は総菜店のフライヤーからの出火だったという。

今日は火事の顛末についての話ではなく、ノスタルジックな思い出話を中心に書きたい。

 

昭和初期の旦過市場

 

旦過市場は大正期からの北九州の台所であり文化遺産でもある。僕にとりソウルフードならぬソウルマーケットと言える。旅先で市場巡りをするのが好きでたくさんの市場を見て来たが、そのソウル性、土俗性で比較できる市場は国内にそうはない。あえて現存する市場で言えば大阪鶴橋の駅前市場か。東京のアメ横ともテイストは異なる。

小学校に入る前からの記憶も残っている。当時商売をしていた父方の祖母の家から歩いて5分の距離感。いつも夕方あたりに婆ちゃんに手を引かれて夕食の食材の買い出しに同行した。菓子店でお菓子を買ってもらうのが楽しみだった。子供心にそのカオスな力強さ、臭気、ある種アジア的な不衛生さに強烈な違和感を感じるとともに、普段母と行くローカルスーパーとは違うホンモノ感も感じていた。

特に肉、魚、野菜、惣菜の専門店にそれを感じた。またスーパーには無いホルモン専門店、鯨肉専門店、おでん種専門店、豆腐こんにゃく専門店、麺類専門店などにエンタメ性も感じた。婆ちゃんはそれらの店頭で、顔見知りの店主と話をしながら試食をパクついていた。少し恥ずかしかった。

 

川にせり出した店舗

 

市場周辺の環境も強烈なカオス感を醸し出す要因だった。すぐ脇にはヘドロまみれの汚い運河のような川がながれ、よく恐怖感に近い気持ちで橋の上からそれを凝視していた。そして店舗はなぜか川の上までせり出し、コンクリ柱の上に乗っかる形で連続していた。ちょっと異様な光景。

昭和40年代という日本がイケイケの時代だったので、人口も100万は超え周辺環境も急速に都市化が進んでいた。だから既に半世紀前の時点で、旦過市場の一角だけ明らかに異質の空間だったのだ。

 

高校を卒業してからは帰省の頻度は減り、また帰省しても街歩きはしなくなった。40過ぎた頃だったろうか、前職で縁あって井筒屋(地元の老舗百貨店)に出店することになった。ベーグルという都市型の食べ物がローカル志向の強い食慣習の小倉で受け入れられるか不安もあったが、地縁を理由の一つに出店した。その時に本当に何十年振りで旦過市場に立ち寄った。

懐かしい原風景はそのままだったが、かつての活気は無かった。あの鼻腔に粘着するような臭気も無かった。シャッターの降りている店も多く、店の人々も残された客も高齢化していた。隣接する川がヘドロはおろかゴミひとつない綺麗な状態になっていたのには驚いたが。

 

4月の火事で廃墟と化した旦過市場

 

今回連続で起きた大火でこの旦過市場はどうなってしまうのだろうか?そのまま取り壊しになってしまうのか、それとも新たな形で復活させるのだろうか?余所者の自分にノスタルジーだけで物を言う資格は無いが、この極めて非効率で少々不衛生な、人間臭と温もりに溢れた愛すべき施設が無くなることは実に寂しい。

郊外型GMSに席捲された日本の最後の砦が失われ、一つの時代の終わりを感じさせられる。実際僕を市場に連れて行ってくれた人たちはもうこの世にはいない。次はお前の番だよと言われている気がする。

 

最近、なぜか諸行無常という言葉が自分の中を去来する。

時代は常に風化してゆくのだ。

 

 

番外編

 

オリビア・ニュートンジョン

 

先週、オリビア・ニュートンジョンが亡くなった。結構ショックだった。中学に入った頃カントリーロード、ジョリーン、そよ風の誘惑とヒットを連発していた。世界のポップアイドルだった。歌もさることながらその可愛いらしいルックスで一世を風靡していた。僕もレコードを買い、部屋にはポスターも貼っていた。その後のディスコブームにも乗り映画グリースで主役となりそのサントラ盤も大ヒットした。

最後に姿を見たのは、もう20年近く前か。ビージーズの3兄弟が最後に揃ったベガスでのライブの主賓として呼ばれていた時。可愛いまだ小学生くらいの娘と一緒にコンサートを楽しんでいる様子を映像で見た。その幸福そうな表情に本当に幸せなんだなと感じた。まさか癌が進行しているとも知らずに。身近なスターの死はやはり寂しさを超えた空虚感を感じる。 合掌


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