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社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
このROCKY通信では、僕が社会起業家の育成・支援に携わっている中での経験や僕自身の人生での学びや考えをシェアさせていただいています。
皆様の起業のお役に立てられましたら幸いです。
以前ROCKY通信でご紹介した僕の高校時代の友人で、現在山口県随一のコーヒーロースターでもある河内山くん(以下K君)の再登場だ。周南公立大学の僕の担当クラス「アントレプレナー実践」の学外授業のお手伝いをして頂くこととなり、その準備で彼の本社兼工場を訪れた。必要な備品を下見する為に社員さんが本社2階の倉庫に案内してくれた。そこは匂い立つような昭和レトロな空間だった。
1970年代の匂い…微かな記憶…俺は昔ここに来たことがある…デジャヴュ…?
思わず社員さんに聞いてみた。「ここは昔、社長が住んでいた部屋じゃない?」
彼女の答はYESだった。そのように聞いています、と。その瞬間、43年前の記憶が一気にフラッシュバックした。当時K君とは部活(登山部)仲間だった。音楽の好みが合い、高校の裏山に登るキツい登山トレーニング時にもROCKの話ばかりしていた。好きな洋楽系ROCKバンドの話、当時毎月のように出されていたそれらバンドの新譜の批評なんかをしていた。そしてK君の色恋話も実によく聞かされた。笑
真面目な地方県立高校に通っていたが、僕らは完全にドロップアウト組。学校帰りに彼の部屋に立ち寄り、よく洋楽ROCKのレコードを一緒に聴いていた。今回訪れたのは正にその時の部屋だったのだ。それも当時そのままの!今は倉庫になっているが、床は当時のままの畳張り。ドアも壁もそのまま。全てが半世紀昔を完璧に維持している。
そして圧巻は壁にあった40年以上前のROCKバンドのポスターだ。昔ステレオがあったと思われる場所には70’sレコード群が。懐かしいという感情ではなく、秘密の勉強部屋にタイムスリップしてしまった感覚だった。
当時の僕はTHE WHOやTHE CLASH がお気に入りだった。おきまりのキンクスやツェッペリン、ストーンズなんかも聴いていたな。それに初期クイーンも好きだった。K君は僕より幅広く色々なバンドを聴いていた気がする。聴き込みの深さでは負けていなかったと思うが、多様性はK君に軍配だったな。当時僕はバカにしていたJOURNEYやBOSTONといったバンドも彼はよく聴いていた。後になって僕もその良さがわかることになるのだが。
話を戻そう。彼の部屋には僕らの高校時代の青春がギッシリ詰まっていた。リアルな青春が詰まっていた。そうだ、リアルなのだ。残されていたK君の部屋は「昭和ROCK資料館」と呼べるレベルだった。
当時の僕は暇さえあればレコードを聴き、FMラジオを聴き、レコード店に通い、部活もちょっとだけ頑張って、初めてのガールフレンドとのデートに心を踊らせていた。その空気の残り香に一瞬時間が止まった。K君によると、もうすぐその貴重な部屋も取り壊される予定だという。悲しいけれど、時代とは風化し失われてゆく運命にあるものなのだ。
しかし、なぜ当時あんなに洋楽が好きだったんだろう?格好良く言えば、そこには「自由」があった。邦楽にはないストレートな感情表現や、グルーヴ感、リズム感があったし、それに単純にカッコ良かった。
歌詞はまったく分からなかったが、コトバが分からないぶん音から全てを感じ取った。ヴォーカルの声色から、ギターのスピード感、ベースやドラムスのリズム&ビートから。80年代に入るまでは、ROCKはまだ商業化されておらず、リアリティや純潔があった。だから今もあの時代の音楽の呪縛から逃れられない。
自分の子供たちが聴いている音楽は軽すぎて、薄すぎて聴いていられない。でも、でも、それが彼ら彼女らのリアリティであり純潔なのだろう。オヤジはウンチクたれずにそっと見守っていればそれで良いのだ。そしていつの日か一緒にバーボンでも飲りながら、「本物の音楽とは?」なんて語り合いたい。
※ROCK好きの僕の同輩の皆さん、“ALMOST FAMOUS”(邦題「あの頃ペニー・レインと」)という映画をぜひ観てください。僕が今回伝えたかったことの全てがそこにあります!主人公の高校生の部屋。そこには僕やK君と100%同じ空間があります。勉強机とベッドとステレオ、そして壁には60’s70’sロックスター達のポスターが。
映画ではあの70年代の名曲が連発で、それだけでも一見の価値ありです。いずれ機会を改めて、ROCK愛の溢れるこの映画についても語りたいです。