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【 ROCKY通信 】第162回 父の死

メールマガジンご購読者の皆様
 

いつもメールマガジンをお読みいただきありがとうございます。

社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
 

このROCKY通信では、皆さんが、人生の転機を逃さず、新たな人生目標を定め、社会貢献ビジネスを創業していくヒントとなるようなお話をさせていただければと思います。

 

皆さんのお役に立てましたら幸いです。


 
 

【 ROCKY通信 】第162回 父の死

父が帰天した。

88年の生涯だった。

 

なぜか父を失った実感はまったくない。まだ生きているという感覚が続いている。

晩年、大きな外科手術を2度経たこと、また昨年は難病にも罹患したので内心覚悟はしていた。しかしあまりに唐突にその日はやってきた。父は手術を経るごとに仏様のような顔になっていった。穏やかで拘りのまったく無い、美しい顔立ちになっていった。そして何かにつけて、どんな小さなことにも「ありがとう」を繰り返すようになった。母に対してだけでなく息子の僕に対しても。

 

父の書斎から遺書が出てきた。

書き出しにはこうあった。

 

「私は平凡な真面目な人間人生を全うしたに過ぎない」

 

父にずっと尋ねたかったことに対する答がそこにあった。

父の生涯を端的に表現したその一文は、心の奥底に響くものがあった。美しいとすら思った。父は中国地方で勤め人として40年間、真面目に実直に勤め上げた。それは家族の為だったのかもしれない。自分の欲とか野心はあったのだろうか?祖父は実業家として成功をおさめた起業家だったので、父にもその血は入っていたはずだ。だがそうしなかった。

 

遺書には最愛の母への思いが多く綴られていた。そして若くして先立った弟に対する思いも。息子の僕から見ても母への愛が人生の基軸だったという気がする。大学生だった母を見染め、学校を辞めさせて一緒になり、爾来母と紡いだその後の60年の人生だった。そして僕や弟のことも大切にしてくれた。その気持ちは子供時代から十分に伝わっていた。ここでは書かないがエピソードには事欠かない。決して贅沢では無いが、何不自由ない生活も与えてくれたし、やりたいことは殆どやらせてくれた。

しかし僕は高校に入った頃からあまりに生真面目で誠実な父に反発的な態度を取るようになった。それは40代半ばまで続いた。進学の時、就職の時、起業する時、父がくれたアドバイスを聞き入れたことは一度も無かった。たまに帰省しても会話も最小限にとどめていた。晩年に近づいてから、僕はやっと思いやりを持って父と会話ができるようになった。

 

側から見れば、着実で振幅の少ない人生。名もなき生涯。大きな社会的な功労や足跡を残した訳では無い。しかし家族を大事にし、誰にも迷惑をかけることなく市井を生きた人生。波乱万丈の果てに何かを成し遂げた人を尊ぶ傾向のある僕は、今回思い知った。父のような生き方もまた誇り高き人生なのだと。尊敬すべき生き方なのだと。

 

人は棺を跨ぐ時に評価が定まるというが、死に際してまで他人の評価を気にする必要なぞない。当人にとってそこにあるのは絶対的な無と安楽だけだ。通夜の時、一人夜中に父の顔をじっと眺めていた。成仏というが、本当に仏様になったのではないかと思われるくらい美しい顔だった。きっと父は自分らしく生きた人生だったと思う。父にとり納得のゆく人生ストーリーだったと思いたい。僕の人生哲学であり死生観でもある「死に際のVサイン」を、父はきっと照れながら僕らに示してくれたことと思う。

 

ありがとうございました、お父さん。


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