こんにちは。
社会起業大学 事業統括の瀬田川です。
このブログでは、
私が学んだこと、経験したことの中から、
自分らしく社会に貢献する生き方・働き方を自ら作り出す
ヒントになる情報をお届けいたします。
今回は、
時間との付き合い方
について、
ある本のシーンを引用して考えていきたいと思います。
皆さんは時間との付き合い方は上手な方ですか?
私は、正直いまだにうまく付き合えず、試行錯誤の毎日です。
様々なタイムマネジメントの本や手帳術の本なんか読んで実践してみたりしました。
が、多少の効率化にこそなれ、それによって大きな余裕は生まれることはありませんでした。
時間とうまく付き合うって
いったいどういうことなんでしょうか?
先日、
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モモ
―時間泥棒と、盗まれた時間を人間に取りかえしてくれた女の子の不思議な物語―
ミヒャエル・エンデ作/大島かおり訳
岩波少年文庫
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という本を読みました。
1973年に発売された本ですがドイツ児童文学賞も受賞し、世界中に翻訳された名著です。
もう45年以上前に書かれた本にも関わらず、
まさに現代的課題を現したような内容になっています。
副題にある通り、
モモという不思議な少女が時間泥棒と戦い、時間を取りもどすというストーリーです。
身寄りのないモモは、
まちの円形劇場に住み着いています。
不思議と時間を忘れさせてくれるモモのことがみんな大好きで、
いつもモモのところには友だちがたくさん集まっています。
そんなある日、
まちに時間泥棒がやってきて、人々に時間を節約するように説きだすのです。
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床屋のフーシーが、
ふと暇な時間を持て余していたとき、
時間泥棒がやってきます。
「わたくしは、時間貯蓄銀行から来ました。外交員ナンバーXYQ/384/bというものです。あなたはわたくしどもの銀行に口座を開きたいとお考えですね?」
面食らっているフーシーに、
時間泥棒は続けます。
1分は60秒、
1時間は60分、
1日は24時間、
1年は365日、
わかりますね。
つまり、あなたの1年の時間という財産は、
31,536,000秒になります。
はい。いいですね。
そしてあなたは今、42歳ですね。
そうするとあなたが持っているはずの財産は、
1,324,512,000秒
です。
続いて時間泥棒は、
ずけずけとフーシーに質問を重ねながら無駄遣いしている時間を計算し始めます。
睡眠 441,504,000秒
仕事 441,504,000秒
食事 110,376,000秒
母の介護 55,188,000秒
セキセイインコ 13,797,000秒
買い物他 55,188,000秒
友人、合唱他 165,564,000秒
片思いの時間 27,594,000秒
思索にふける 13,797,000秒
合計 1,324,512,000秒
はい。でました。
これまでのあなたの時間財産が、1,324,512,000秒
そして、あなたが無駄な時間が、1,324,512,000秒
差引すると・・・ 0,000,000,000秒
・・・。
それからフーシーは時間を必死に節約するようになりました。
母は施設に預け、
片思いの女性のことは忘れ、
セキセイインコは売ってしまい、
あくせくと働くようになりました。
陽気で饒舌だったフーシーは、
怒りっぽい落ち着きのない人になっていったのでした…。
(p83~p102 を要約)
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大分要約して掲載しましたが、
実際のこのシーンの時間泥棒とフーシーのやり取りは
本当にスリリングです。
皆さんはこの時間泥棒の計算、どう思いますか?
そして、
フーシーのことをどう思いますか?
私は、
この物語の時間の計算を見ながら、
インチキだなぁと思いつつも、
決して他人事じゃないと強く感じました。
時間を有効に使え!
効率的に、無駄を削って、
もっと早く!もっと早く!もっと早く!
私もそんな声に追い立てられているときが
よくあります。
でもそうやって、
節約した時間はどこへ行くのでしょう?
物語の中では、
時間貯蓄銀行に貯蓄すると利子がついてお得と
時間泥棒がうそぶいていますが、
いつまでたっても利子のついた時間は戻ってきません。
そう。
時間はそもそも貯蓄なんてできないんですね。
時間は、常に「今、この瞬間」にしかない。
作者であるエンデは、
物語の中でこう言っています。
—-
時間をはかるにはカレンダーや時計がありますが、はかってみたところであまり意味はありません。というのは、だれでも知っているとおり、その時間にどんなことがあったかによって、わずか1時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ほんの一瞬と思えることもあるからです。
なぜなら時間とは、生きるということ、そのものだからです。
そして人のいのちはこころを住みかとしているからです。(P83)
——
なぜなら時間とは、生きるということ、そのものだからです。
そして人のいのちはこころを住みかとしているからです。
私はこの最後のフレーズに深く考えさせられます。
時間とは生きること、
その命はこころの中にある。
時間=生きること=命=心
ということでしょうか。
心の在り方こそ、
時間との付き合い方の本質であると
エンデは教えてくれています。
皆さんは、
昨日を、今日一日を、
どのような心で過ごしていますか?