破産寸前まですべて自己資金で難民支援にお金をつぎ込んでいたことが入学前の当時は正しいと思っていましたし、それしか方法がないと入学前は思っていました。
しかし、それが、自分よりも貧しい人に施しをすることで自分に優越感を与え満たされた思いに浸ろうとするメサイヤコンプレックスだということに気づかされたのは瀬田川先生のおかげでした。また事務局の辻さんとも面談をしましたが滅私奉公だと言われ自分が破滅寸前だったことに気づかされハッ!としました。
自分が難民の支援活動をしていた時期が躁(そう)状態だったので当時を振り返ればそうならざるを得なかったと言えばそれまでですが、ビジネスという別の観点から支援する方法があることにこの学校では気づかされます。
社会起業大学では滅私しないあらゆる支援方法があることを講師や学生の意見を聞きながら教えてもらっています。
しかしさらに自分自身を探求すると実は、もっとその先に自分の本質が見えてくることに気づかされます。それが私にとっての言わば「原点回帰」でした。
私の場合、それは技術の研究をすることで、自分が「職務発明」というトラウマに駆られていたことに気づいたことでした。
2014年にノーベル物理学賞を受賞された中村修二氏が、かつて勤務していた日亜化学とこの問題で訴訟を起こしていたことは覚えている人と知らない人がいると思いますが、職務発明という会社が一方的に決めたルールは、この国の個人である技術者を会社が搾取していると私も思っています。
わたしは前職時代の1999年、当時の上司である課長から、勤務時間中は、与えられた業務とは関係ない独自のアイデアを考えてはならないと言われたことがあり、それ以来、転職した後、今の会社でも勤務時間以内は、いっさい独自アイデアの研究をしませんでした。
むしろ与えられた業務のほうが忙しすぎて、そういう時間がそもそもありませんでした。
この国では、企業の大半が勤務時間外であろうとなかろうと、会社の製品に係る技術やアイデアは、社員は会社に譲渡することになっています。
私は早朝目覚める直前にときどきアイデアが思いつくことがありますが、勤務時間外に研究をして、夢にでてきたアイデアもいわば会社のものです。
職務発明という会社のルールに不満を抱きつつも私は、勤務時間外に平日の深夜まで、土日、長期休暇を利用し独自の研究を続け、小型の工作機械の設備や比較的安価なソフトウェアも自分で購入しながら研究活動をしてきました。
さすがに13年間も自費で続けていると職務発明のあり方は、どう考えてもおかしいのではないかと思っています。
本格的な試作機をどうしても作りたいと思っていたのと、製品化するには結局は会社に頼らなければならないと思っていた時期があり、今までやってきた研究成果を会社にささげようとしていました。
試作する前、解析をしたいと思い、高額で買えないソフトを会社で使わせてくれないか、役員に直接お願いしたことがありました。しかし実験部所属の社員が解析部署のソフトを使わせることはできないと断られました。
なぜ同じ会社なのにしかも実験も解析も同じ開発部門なのに、それができないのか今考えるとよくわかりませんが、結局従わざるを得ませんでした。
それでも、会社とて職務発明というルールはルール、社員として従うしかありません。社長とも直接技術に関してやり取りをする機会がありましたが、技術に関しては他人事、みなさんでがんばってくださいというたった1行の答えに私はあきれ果てました。
結論として私は、私を過労に追いやった元上司、社長、役員に対する怒りの末、13年間やってきた研究は、この際お蔵入りにしました。特許にすることができるレベルにまで考え方を確立したつもりでいましたが誰にも報告しないままやめることにしました。
過去に縛られる必要はない、これはこの国の技術者が置かれた現状に対する自分なりのささやかな抵抗です。技術の進展がこの国の企業が設けた職務発明というルールにより、ひとつ消えてしまったと思ってもらえれば、わたしにとりましては社会課題の捨て身のアピールとなるのではないかと思っています。
しかし、会社の法律に従い私は、今の会社の製品に係らない別の研究を勤務時間外に開始することにしました。絶えず勉強してきたことは自分の好きなこと、この信念があればまた新たな分野を勉強し別の新たな技術は確立できると思っています。
第15・16期 ビジネスマネジメントクラス受講生 (40代/男性/会社員)