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【 ROCKY通信 】第248  ボブ・ディランとは 

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社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
 

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【 ROCKY通信 】第248回  ボブ・ディランとは 

   

ボブ・ディラン NOW

 

音楽好きの仲間と話していた時に、ボブ・ディランの話で大いに盛り上がった。なぜかこのひと月でそんなことが数度あったので、今日はディランについて書きたい。僕らより一回り上の世代が熱狂したミュージシャンで、正直ちゃんと聞き出したのは20代後半になってからだ。好きな楽曲もたくさんあるが、それ以上に社会性のあるインパクトに影響を受けた。2016年にはミュージシャンとして初のノーベル平和賞(文学賞)も受賞し、ロックやフォーク音楽のカテゴリーだけには収まらないアーティストとして歴史に君臨することとなった。評価されたのは詩だった。

 

僕の初コンサートは20年くらい前に有楽町フォーラムでのものだったが、とにかく驚いた。オーディエンスが期待する曲はまったく演らない。ひたすら新曲を淡々と歌う。観客は当時で60オーバーの人が殆ど。それも外国人が半分以上だった記憶だ。すぐにみんな名曲、定番のヒット曲を聴きに来ているのがありありと分かった。しかしディランは無視。1時間近くたった頃、しびれを切らした外人オーディエンスが、「おーい、“Like a Rolling Stone”をやってくれー!」「“Blowin’ In the Wind”を待ってるぞー!」とか叫び始めた。さすがに「神」に対するブーイングこそ起きなかったが。しかしディランはそれでも無視。「嫌なら帰れ」ぐらいの強烈な支配力。会場の空気は緊迫感で張り詰めていた。たった1人で5千人と向き合い、しかもカリスマで会場全体を支配するディラン。とんでもない男だ。アメリカ大統領だってこうはできないだろう。このあたりが業界における無二の、決して替えの利かない存在となっている所以だと思った。

 

さて、話をもどそう。ディランの凄さは自己信頼に裏打ちされたホンモノの「自由」。そして「オリジナリティ」。内なる声に耳を傾けそれを実行に移す。誰が何と言おうがだ。フォーク歌手としてのディランが好きだったファンは、“Like a Rolling Stone”をあの伝説のニューポート・フォークフェスティバル(1963-1965)で歌った時に大ブーイングが起きたそうだ。「裏切者!」と。皆はフォーク調で語りかけるように歌うプロテストソングを期待していた。公民権運動や核危機への反戦運動といった時代背景で、彼は若者を代表するオピニオンリーダーを期待されていたのだ。それをフォークギターからエレキギターに持ち替えてロックに走ったから非難されるのは当然だ。しかしディランはその役割を捨てた。そして政治的・社会的問題よりも、「自己の内面をロックで表現する道」を選んだ。ジョンレノンたちとの交流なんかも拍車をかけて、“Subterranean Homesick Blues”のようなPOPな曲も歌うようになった。話はそれるが、この曲のビデオクリップを見たのは20くらいの時だったが、あまりのインパクトに完全KOされてしまった。いまも彼のフォーク時代の曲より、ロック調の方が好きだ。一度下記をご覧あれ。

 

衝撃だった“Subterranean Homesick Blues” 1965年

 

今回気づいたが、後ろにギンズバーグが映っているではないか!!

https://www.youtube.com/watch?v=MGxjIBEZvx0 動画をご覧あれ!

 

1963年度の公民権運動のピークともいえるワシントン大行進の際には、「歌で世界は変えられない」との信念に基づきプロテストソングは歌わなかった。フォーク界の大御所、ピーター・ホーロウがアドバイスしたそうだ。「ボブ、初めの数曲をアコ―スティックで歌ってその後でロックをやれよ」と。「そうすればファンはみんな君のロックを聞いてくれるさ」と。しかし、、、ディランは「最初に説明をしてからやるのは俺のやり方じゃねえ」と突っぱねた。これはまさに自分が有楽町で観たものと同じだ。自分も似たところがあるので、これは共鳴する逸話だ。彼はビジネスマンではないのだ。アーティストなのだ。それも筋金入りの。そんな彼をノーベル賞に推薦したのは、ゴードン・ボール(アメリカ現代詩研究家)とアレン・ギンズバーグ(詩人。60年代の若者を熱狂させたヒッピー文化の精神的支柱)だった。なんと12年間もスウェーデンのアカデミーに推薦し続けたそうだ。2016年にいきなりアカデミーがディランの文学賞を発表した時、彼らはそれを知らなかったという。そして当のご本人は2週間もの雲隠れ。やっと受賞することを公示したが、授賞式は欠席。スピーチもなし。ただ「ミューズ(音楽、芸術の女神)よ、私の中で歌い、私の中で伝えてくれ」とだけメッセージを残した。

 

恰好良すぎだぜ、ディラン!

 

僕の最も好きなロックなアルバム Desire「欲望」1976年

 

 

 


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