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社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
このROCKY通信では、皆さんが、人生やビジネスのヒントとなるようなお話をさせていただければと思います。
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ボブ・ディラン NOW
音楽好きの仲間と話していた時に、ボブ・ディランの話で大いに盛り上がった。なぜかこのひと月でそんなことが数度あったので、今日はディランについて書きたい。僕らより一回り上の世代が熱狂したミュージシャンで、正直ちゃんと聞き出したのは20代後半になってからだ。好きな楽曲もたくさんあるが、それ以上に社会性のあるインパクトに影響を受けた。2016年にはミュージシャンとして初のノーベル平和賞(文学賞)も受賞し、ロックやフォーク音楽のカテゴリーだけには収まらないアーティストとして歴史に君臨することとなった。評価されたのは詩だった。
僕の初コンサートは20年くらい前に有楽町フォーラムでのものだったが、とにかく驚いた。オーディエンスが期待する曲はまったく演らない。ひたすら新曲を淡々と歌う。観客は当時で60オーバーの人が殆ど。それも外国人が半分以上だった記憶だ。すぐにみんな名曲、定番のヒット曲を聴きに来ているのがありありと分かった。しかしディランは無視。1時間近くたった頃、しびれを切らした外人オーディエンスが、「おーい、“Like a Rolling Stone”をやってくれー!」「“Blowin’ In the Wind”を待ってるぞー!」とか叫び始めた。さすがに「神」に対するブーイングこそ起きなかったが。しかしディランはそれでも無視。「嫌なら帰れ」ぐらいの強烈な支配力。会場の空気は緊迫感で張り詰めていた。たった1人で5千人と向き合い、しかもカリスマで会場全体を支配するディラン。とんでもない男だ。アメリカ大統領だってこうはできないだろう。このあたりが業界における無二の、決して替えの利かない存在となっている所以だと思った。
さて、話をもどそう。ディランの凄さは自己信頼に裏打ちされたホンモノの「自由」。そして「オリジナリティ」。内なる声に耳を傾けそれを実行に移す。誰が何と言おうがだ。フォーク歌手としてのディランが好きだったファンは、“Like a Rolling Stone”をあの伝説のニューポート・フォークフェスティバル(1963-1965)で歌った時に大ブーイングが起きたそうだ。「裏切者!」と。皆はフォーク調で語りかけるように歌うプロテストソングを期待していた。公民権運動や核危機への反戦運動といった時代背景で、彼は若者を代表するオピニオンリーダーを期待されていたのだ。それをフォークギターからエレキギターに持ち替えてロックに走ったから非難されるのは当然だ。しかしディランはその役割を捨てた。そして政治的・社会的問題よりも、「自己の内面をロックで表現する道」を選んだ。ジョンレノンたちとの交流なんかも拍車をかけて、“Subterranean Homesick Blues”のようなPOPな曲も歌うようになった。話はそれるが、この曲のビデオクリップを見たのは20くらいの時だったが、あまりのインパクトに完全KOされてしまった。いまも彼のフォーク時代の曲より、ロック調の方が好きだ。一度下記をご覧あれ。
衝撃だった“Subterranean Homesick Blues” 1965年
今回気づいたが、後ろにギンズバーグが映っているではないか!!
https://www.youtube.com/watch?v=MGxjIBEZvx0 動画をご覧あれ!
1963年度の公民権運動のピークともいえるワシントン大行進の際には、「歌で世界は変えられない」との信念に基づきプロテストソングは歌わなかった。フォーク界の大御所、ピーター・ホーロウがアドバイスしたそうだ。「ボブ、初めの数曲をアコ―スティックで歌ってその後でロックをやれよ」と。「そうすればファンはみんな君のロックを聞いてくれるさ」と。しかし、、、ディランは「最初に説明をしてからやるのは俺のやり方じゃねえ」と突っぱねた。これはまさに自分が有楽町で観たものと同じだ。自分も似たところがあるので、これは共鳴する逸話だ。彼はビジネスマンではないのだ。アーティストなのだ。それも筋金入りの。そんな彼をノーベル賞に推薦したのは、ゴードン・ボール(アメリカ現代詩研究家)とアレン・ギンズバーグ(詩人。60年代の若者を熱狂させたヒッピー文化の精神的支柱)だった。なんと12年間もスウェーデンのアカデミーに推薦し続けたそうだ。2016年にいきなりアカデミーがディランの文学賞を発表した時、彼らはそれを知らなかったという。そして当のご本人は2週間もの雲隠れ。やっと受賞することを公示したが、授賞式は欠席。スピーチもなし。ただ「ミューズ(音楽、芸術の女神)よ、私の中で歌い、私の中で伝えてくれ」とだけメッセージを残した。
恰好良すぎだぜ、ディラン!
僕の最も好きなロックなアルバム Desire「欲望」1976年