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【 ROCKY通信 】第234回 巨星アラン・ドロン 死す

 

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【 ROCKY通信 】第234回 巨星アラン・ドロン 死す

アラン・ドロンの出世作「太陽がいっぱい」(引用:U-NEXT)

  

昨日デスクワーク中に、ウェブニュースでアラン・ドロンの死を知った。たまに入って来る外電でその日が近いのはわかってはいたが、やはり強い喪失感を避けることはできなかった。その夜、レクイエムとして1人でバーに出向いた。奇しくもマスターがドロンのサントラを持っていて、それを聞かせてくれた。(末尾写真)懐かしさと共に、深い感慨があった。海外の俳優で最も観てきたのはきっとドロンだったと思う。多くの場合、映画は監督で選んで観てきたが、ドロンに関してだけは別で彼が出ている映画を探して観た。絶世の美男子ということで日本でも女性を中心に人気知名度ともに抜群であった。肉体的にも痩躯ながら鍛え上げられた鋼のようだった。確かに男の僕からしてもその容貌は美しいと見惚れたものだが、10代後半から20代前半の頃は、彼の成り上がり的な生き方のようなものにも憧れ、影響も受けた気がする。それは彼の出世作「太陽がいっぱい」などでも表現されていた。下層社会の人間がのし上がっていく凄みのある演技だった。しかしそれはそうとして、一体ドロンの映画を何十作観てきたことだろう?ちゃんと回想すれば、たぶんロキ通を5本分は楽勝で書けると思う。

 

ビスコンティに起用されたドロン「若者のすべて」

 

実はドロンは青年期までは厳しい境遇だったそうだ。そして軍に入った後、カンヌ映画祭でスカウトされたとのこと。きっと怜悧な彼のことだ、それも計算づくだったのではなかろうか。その後多くの名匠に使われてルックスだけでなく俳優としての実力を磨いた。顔だけで勝負できるほど甘い世界ではないのだ。特に大きかったのはルキノ・ビスコンティとの出会い。世紀の大監督に「若者のすべて」「山猫」でしごかれた。男色の映画作家なので、それら大作でドロンを起用したのは合点がいく。ちなみに僕が一番好きなドロンの出演作は「若者のすべて」だ。20回以上は観たはずだ。イタリア南部から生きるためにミラノに母と4人の子供で移住し、その夢の大都会で最後は家族が崩壊するという悲しいストーリーなのだが、ドロンが誠実で真面目な青年を見事に演じきった力作だ。白黒で3時間くらいあったと思う。

 

ドロンとモンソン(引用:http://www8.plala.or.jp/

 

その後も「太陽はひとりぼっち」といった異色作品にも出た。スーツ姿でオープンカーを運転する証券マンの役柄だったが、格好良かったなぁ。「地下室のメロディ」という強盗映画では、老優ジャンギャバンと共演したが、マフィア系の映画ではほとんど地で演技しているような印象だった。実際、ドロンはマフィアの構成員だったと言われており、マルコビッチ事件にも関与していたとされる。そういえば当時無敵のボクシングのミドル級王者カルロス・モンソンの試合をパリでプロモートしていたっけ。それも裏社会との繋がりを示すものだろう。後年の大作枯れしていた時期には、フィルムノワールと言われマフィア映画に多く出演したが、B級作品にもかかわらずドロンの存在だけで十分に観れる映画群だった。そこでは非情で陰鬱な男を演じ切っていた。

 

「冒険者たち」「もう一度愛して」

 

あと大好きな映画は「冒険者たち」と「もう一度愛して」だ。「冒険者たち」は人生に躓いた3人の男女が、アフリカの海底に財宝を求めに行くという冒険物語。男女の友情を美しく描いた作品で、今も元気を出したい時には折に触れ観ている。実はドロンの訃報の1週間前にも観ていた。「もう一度愛して」はプライベートで離婚したナタリー・ドロンと共演するという当時の話題作で、彼は神父でオルガニストという役柄。彼には珍しいコメディー映画なのだが、ジャズ風のパイプオルガンの演奏が出色で、これも年に1度は必ず観ている。ということは30回以上は観ていることになる。20代の頃からずっとサントラ盤を探しているのだが、マジで誰か持っていたら譲って頂けませんか?笑

 

大物共演者との作品も見応えがあった。ライバルと目されていたジャンポール・ベルモンドとの「ボルサリーノ」、ジャン・ギャバンとの「地下室のメロディー」、リノ・バンチュラとの「冒険者たち」、チャールズブロンソンとの「さらば友よ」、三船敏郎との「レッドサン」等々。今さらながらだが、彼は共演相手の特長を引き出す技もあったということだ。女性関係も華やかで、ナタリー・ドロン、ロミー・シュナイダー、ミレーユ・ダルクと共演者を次々とものにした。最晩年は日本人の事実婚状態の妻がいたそうだが、巷で流した浮名は数知れず。それもスターの勲章なのだろう。

 

ファッション面でも随分と学ばせてもらった。朝ベッドから飛び出して、裸身にシャツを纏う演技、パリの寒空にトレンチコートの襟をクイッと立てる仕草、ボルサリーノハットを斜めにキュッと被る手振り。スーツのVゾーンの作り方、タキシードの着方等々。社会人1年生だった僕は、ビズシャツの下に白の半袖Tシャツをつけていた。それが当時の慣わしだった。でもドロンが裸の上からサッとシャツを着る格好いい姿を見て以来、すぐに真似して今日に至る。

 

まだまだ書きたいことはいくらでもある。華麗だがどこかしら陰のあるドロン。陽性で無邪気なベルモンドとは対照的だった。奇しくも同じ88で逝ってしまったが。ドロンは女性の嬌声に頼るのでなく、日本でいえば任侠映画にも一脈通じる「男に惚れられる男の中の男」になりたかったのではないか。フレンチモードの健さんや文太さんみたいな。笑 なぜか、そんな気がしてならない。

合掌

 

1962年版サントラ 「太陽はひとりぼっち」

 

 


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