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【 ROCKY通信 】第220回 古代大和路「山の辺の道」その2

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社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
 

このROCKY通信では、皆さんが、人生やビジネスのヒントとなるようなお話をさせていただければと思います。

 

皆さんのお役に立てましたら幸いです。


 

【ROCKY通信】第220回 古代飛鳥路「山の辺の道」その2

 

卑弥呼の墓所といわれる箸墓古墳

 

気持ちの良い朝だった。靄ってはいたが、母は朝からバイキングをしっかり楽しんでいた。地元名物の三輪そうめんもおかわりしていた。朝食はあまり食べない僕も、ここはエネルギー補給とばかり椀子スタイルのそうめんを3杯いただいた。麺の歯ごたえも、出しつゆの具合も申し分無いものだった。

夕方の6時までには宿に到着したかったので、早速出発点の「仏教伝来の碑」に向かった。ちなみに我々は地元で「山の辺の道」のスタート地点とされている三輪駅ではなく、もうひと駅遠い桜井駅を出発点とした。ちょっと自慢だ。笑 今回のロキ通は通常の倍の長話になってしまうが、お時間のゆるす方は遥か1800年昔の古道の旅路をご一緒して頂けると嬉しい。

 

金屋の石仏

 

起点には佛教伝来の地とかかれた大きな石碑が川べりにあった。538年、この地に仏教が伝来したという。さっそくスイッチを入れて住宅地の路地を歩き始めた。最初のスポットは「金屋の石仏」。なかなか味わいのある彫像で、なんでも鎌倉時代のものだそうだ。ここでは鎌倉が新しく感じられるから可笑しくなってしまう。路地を抜けるとあぜ道となった。新緑の三輪山が美しい。なだらかな形姿が目にも優しい。古代の歌人たちが詠い継いできたのもよくわかる。

 

日本最古の神社 大神神社

 

2時間ほど道中の石碑や和歌の句碑を横目にしつつ、前半のスポットである「大神神社(おおみわじんじゃ)」に到着。なんでも古事記や日本書紀にその伝承が記されており、紀元前95年の創祀だそうで日本最古の神社とのこと。寂びながらも威厳があり、装飾を削ぎ落した国宝指定の本殿の佇まいについ息をのむ。庭は完璧に掃き清められており、植栽も見事だ。

 

なんだ、この心地よい緊張感は!社に感動した三島由紀夫とドナルド・キーンが裏山の小屋にしばらく逗留したという話を巫女から聞いた。むべなるかなである。おっと、全てのポイントを書いていたら終わらなくなってしまう!笑 ここからは自分が気に入ったポイントだけ押さえてゆこう。

 

祟神天皇陵

 

次に箸墓(はしはか)古墳。道からそれて約2キロ?ほど歩く。これは卑弥呼の墓ではないかと言われており、宮内庁の管轄で堀の外から眺めることしかできない。間近だとただの森のようでよく形が分からないが、少し離れて見ると前方後円墳なのがわかる。その後、景行天皇陵、祟神天皇陵の巨大古墳2連発。両方とも濠の周りを一周した。

 

「山の辺の道」の脇は古墳密集地帯だ。歩き始めは見過ごしていたが、よく見るとこんもりした丘のようなものが目に付くが、それらが全て古墳なのだ。大きな古墳には濠もある。古代史マニアにはたまらない。母はしかと見入っていた。これら古墳はまぎれもなく古代の神道時代のものだが、その後仏教が伝来したわけで、この道にも随所に寺が散在している。なんだか不思議だ。歴史の授業とは違い、目の前でそれを感じることができて面白い。

 

休憩タイム

 

史跡スポットは、沿道から外れて坂道を昇り降りする箇所が多く、これが想定以上にエネルギーを奪われてしまう。「山の辺の道」は山裾の際を縫っているので、標高もそこそこあるのだ。母に休憩を取らせ水分補給をさせつつ本人のリズムで歩けるよう気をつける。幸いにしてこの日はピーカン照りではなく、気温も前日とはうって変わり23度くらいだった。これは本当に天の恵みだった。もし前日のように30度とかであれば、途中でくたばっていたかもしれない。

 

途中1ヵ所急なガレ場の坂道があり、そこで母が転んでしまった。一瞬立てなくなり焦った。母は文字通り這いつくばって坂を登り切った。あそこだけは歩行者に手摺が必要だな。有名スポットもいいのだが、道中右手に見える優しくなだらかな峰々、他愛ない田畑に咲く草花、盆地の遠景が何とも心地よかった。京都とは大きく異なる。これこそがこの「山の辺の道」の本当の魅力なのだろう。悠久の癒しとでも言おうか。

  

カフェレストランKatsui

 

母はリズムよく歩いている。表情も明るい。よし、この調子だ。気づくと正午になっていたが、もう少し歩くことにした。1時をまわるとさすがにガス欠気味となり、昼食をとることに。古墳の傍のあぜ道に座りおにぎりを食べていた地元のお婆さんがいたので、付近に食堂がないか聞いてみる。数百メートル先の丘の上にカフェレストランがあるというのでそこに行った。本当は三輪そうめんの名店でランチしたかったのだが、、、行ってみるとそこは市役所の人が勧めてくれた店だった。Katsui(勝井)という名のおしゃれな店で、地元の人々で賑わっていた。運よく桜の真下にある一番いいテラス席に座れた。

 

しっかり食事と休憩を取り、隣地のスポット「長岳寺」に。空海による824年の開山とあった。ここでは日本最大という鐘を撞かせてもらった。この時点でちょうど道程の半分だったが、予定の6時までの宿到着の目途もたち少し心理的な余裕も生まれた。道行く空はどこまでも澄み切り、山々は新緑が漲り、盆地はのんびりと穏やかだった。そして路傍のお地蔵さんがにこやかに迎えてくれる。そこからは平坦な舗装道となり、かなり楽になった。

 

次なる史跡スポットは竹ノ内、萱生の「環濠集落」だ。外敵から身を守るために濠を築き、その中に集落を作ったもので室町時代のものだそうだ。室町と聞いてあまり興味が持てなかったのもまた可笑しかった。ここにくると時代感覚が麻痺してしまう。

  

道端の無人販売

 

後半戦は農家の路地を抜ける箇所が多かったのだが、果物や野菜の無人販売が多くあった。ほとんどが100円で販売されていた。季節的に柑橘類が獲れるようで、いろいろな種類の蜜柑が置いてあった。甘酸っぱく爽やかで実に美味だった。しかしそれ以上に驚いたのが、農村集落の農家がいずれも立派だったことだ。全戸が庄屋か?と思えるような集落がいくつもあった。敷地は千坪単位、家屋は神社と見まがうようなスケール。そして必ず大きな蔵があった。

 

集落を繋ぐあぜ道を歩きながら、母と推論を交えた。あまりに不思議なので、たまたま大きな屋敷から出てきたおばあさんに聞いてみた。「なぜこのあたりの農家はこんなに立派なのですか?」と。大きなお世話なのだが、、、笑 ご当人はそんなこと考えたこともないといった様子でしばらく沈黙した。もらった返答は「昭和初期に農業が儲かった時代があって、その頃の名残じゃないかね」というもの。一体何を作っていたのだろう?これまでに見たことのない豪農集落は印象に残った。

  

豪農の佇まい

 

1800年もの昔、この道をどんな人々がどんな思いで歩いたことだろう?歩く目的もいろいろあったことだろう。でも旅の道中で僕の感じたことは、それら古代の人々と現代の自分たちはさして変わっていないのではないか?というもの。道々思案をしたのだが、そういう結論になった。

 

時代時代で起きた政治や経済の変化、宗教の変化、科学の及ぼした変化、そして天変地異。年表を眺めれば歴史とは変化の連続であるかのように見えてしまうが、人間そのものは何も変わっちゃいないという気がするのだ。だから1800年前の道を今踏みしめても、不思議と古代の人々と同化しているような気分になるのだ。もっとノスタルジックに太古のロマンに思いを馳せるのを想像していたので意外だった。

 

おっともう4時半だ。まだ太陽は煌々としていたが、最終判断が1つ残された。このまま終点の「石上神宮(いそのかみじんぐう)」まで行って宿に引き戻すか。今夜はおとなしく投宿し、翌朝「石上神宮」に向かうか。少し前を散歩されていた初老のご夫婦に尋ねてみた。即答で石上神宮は明日にしなさいとのこと。その先は「山の辺の道」のハイライトとも言える素晴らしい道中だが、最も険しいパートだからと。まだ母も僕も体力は残っていたが、素直に従うことにした。ご主人は大学教授ではないかと思えるほど博識で、界隈の古代史について聞かせてもらった。

 

その夜は道の駅と一体になっているフェアフィールドというモーテルに泊まった。アメリカに住んでいた30年前、長距離ドライブでよく使っていた馴染みのモーテルだ。しかし部屋はアメリカとは異なり、最新のタワマンのリビングのようで、我々には少々モダンすぎた。夕食は隣接する道の駅で済ませた。高台にあるホテルの窓からの盆地の夜景が美しかった。朝食は前日道の駅で購入しておいた地元名物の柿の葉寿司をつまみ、8時に出発した。

 

いきなりの急登攀だった。昨夕のご夫婦のアドバイスに従っておいて正解だった。しかし残すスポットは「石上神宮」のみだ。かなり険しい道ながらも母の足取りは軽い。前日転んだのが嘘のようだ。途中、黒沢映画の時代劇に出てくるような難所もあり、ここはきっと昔は山賊が出たんだろうななどと思いながらも、ゴールは目前となり全く平気な我々であった。

 

石上神宮

 

「石上神宮」は、それは大きく立派な神社だった。ここも日本最古の神社の一つという。「山の辺の道」から境内に入ると放し飼いの鶏たちが迎えてくれた。大学時代の家庭教師先の奥様がここの宮司の娘だったと聞いたのを思い出し、親近感が湧く。神社での感動よりも、高齢の母と2人で20キロを踏破した達成感の方が大きかった。ついにやったのだ。

 

神社からさらに数キロ歩いて天理駅まで歩いたのだが、想定外のオチとなったのが天理教の本殿だ。そのあまりのスケールに仰天してしまった。これはベルサイユ宮殿や紫禁城にも比肩する建造物だ。純木造建築である分、それら以上の迫力が感じられた。たまたまその日は教祖の誕生日だったとのことで、世界中から信者が集まり大賑わいの天理市街地であった。最後の食事となった昼食の天理ラーメンは外してしまったが、、、笑 

 

奈良からの帰路、数十年来の夢を叶えた母の顔には喜びがあふれていた。ポケットから出した万歩計にも目をやり、さらに満足そうな笑みを見せた母であった。

 

天理教本殿

 


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