メールマガジンご購読者の皆様
いつもメールマガジンをお読みいただきありがとうございます。
社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
このROCKY通信では、皆さんが、人生やビジネスのヒントとなるようなお話をさせていただければと思います。
皆さんのお役に立てましたら幸いです。
週末、都内の公園で夜桜ならぬ夜紅葉を楽しんで来た。紅葉...ある親友は娘に紅葉と名前をつけたくらい我々日本人には思い入れの深いものだ。それは植物としてカテゴライズされるものではない。日本人のアイデンティティとしての位置付けだ。多くの日本人にとり、植物では桜と紅葉、そして竹がそうだ。あとは苔かな。なんだか京都の庭園みたいだな。無意識のうちにステレオタイプに冒されているのかも知れない。しかしこの都心の公園には、実に巧みなマーケティング戦略があった。
園内に入ると、そこは若いカップルやグループで大賑わいだった。ほぼ20代の男女だった。
インスタ映えを意識した主催者の巧みな仕込みに、みんな気持ちよく乗っかっている感じだった。そう言ってしまうと何だか身も蓋もないが、実際その演出は見事なものだった。園内ではナチュラルに紅葉(もみじ)が紅葉(こうよう)しているのだが、そこにさらに赤色LEDでライトアップされて妖艶でまったりとし時間が止まってしまったような空気感。エロスだ。
順路には写真のカットとなるポイントが用意されていて、訪問者たちはきっちりその思惑通りにシャッターを押していた。また遠景の高層ビルやタワマンとの対比性が一段と全景の輪郭を締めていた。
少々マーケ的になってしまうが、日中の太陽光からの紅葉だって美しいのに違いないのだが、日没後にライトアップされる紅葉は幻想風景に化ける。偶然必然そこには池があり、水面への紅葉の投影でさらにそのファンタジー感が演出される。照明というのは芸術の一部なのだ。化粧と同じ効果をもたらし、人々を惑わす罪なアートだ。
自分が育った徳山という街が山口県にある。現在は周南市と呼ばれている街だ。そこは大正より化学コンビナートが海岸線を占拠する工業都市であり、無機質な光景を日常としている。ここ数年、そんな街が周南工場夜景として観光化されている。実際なんの変哲も無い工場の夜景が、照明の演出でデフォルメされると本当に芸術性を帯びてくるから不思議だ。まるでカンディンスキーの抽象画のようだ。
昨夜の公園夜景は自然を利した創出アートの極致だ。本人の心象風景を抽象化し、それにさらにアート性を付加した新たな「作品」に仕立てた事例だ。好き嫌いはあろうが、都内だけでなく地方創生のヒントにもなる発想だ。地元にある自然、文化、歴史といったアセットをどう再解釈し、どういうアングルからデフォルメするのか?今回は無償の臨時イベントだったが、来年以降はSNSで拡散されインバウンドで溢れかえる事になるだろう。
音楽で言えば、元来ブルース系ロックやパンクの好きな自分だが、テクノやトランスだって楽しめる。ベースとなるものさえしっかりしていれば、そこから派生する差別化も可能となり実際新しいものが生まれる。それが進化なのかもしれないし、希望とも言えるのかもしれない。なんだか話がややこしくなってきたぞ。夜紅葉を眺めつつ諸々迷想してしまった。
今回このメルマガを書いていてあらためて気づいた。
紅葉(こうよう)と紅葉(もみじ)は同じ文字だったんだ!