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社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
このROCKY通信では、僕が社会起業家の育成・支援に携わっている中での経験や僕自身の人生での学びや考えをシェアさせていただいています。
皆様の起業のお役に立てられましたら幸いです。
色々な国を旅して来た。好きだったのはヨーロッパのラテン系の国々だった。イタリア南部、スペイン南部、ポルトガル南部そしてフランス南部。特に好きだったのはイタリアのナポリ以南の地域。20代の中頃から30にかけて、すっかりハマってしまって数年にわたり通うことになった。ポイントは人と食だった。
ラテン系の南部の人たちは明るく自由で、良い意味でいい加減。おせっかいで、好奇心旺盛、そして貧しく信心深い。一番好きだったのはナポリにあるスカッパナポリと言われる地区。今でこそ綺麗になったが、1980年代後半は路上はゴミだらけだし、危険だし観光客は行ってはならないとされている場所だった。麻薬、売春、強盗、殺人。マフィアの本場なのだから仕方ない。しかし行ってはいけないと言われると、どうしても行きたくなってしまう性分だから仕方ない。
最初に訪れたのは1987年。一人勇気をもって乗り込んだ。パゾリーニ、ロッセリーニといった映画作家の世界そのもの。貧しいのだが市井の人々は明るく、元気で力強かった。そして表情からは幸福が感じられた。男も女も本能むき出しのキャラクターは、無垢で率直で正直で僕の中に潜むラテン系気質に着火した。食らった先制パンチは幼稚園児か小学校低学年の男の子が、スクーターに3人乗り4人乗りで路上を走り回る光景。それもそこら中で。なのに大人は誰も注意しないばかりか笑って見ている。
そして5階建てくらいの中世から住み続けられているボロアパートは、洗濯紐で窓と窓が繋がっており、シャツやパンツがはためいている。また見ていると、5階のベランダから婆ちゃんが紐でバケツをスルスルと地上におろして、大声で何か叫んでいる。するとどこからか食料品店の兄さんが現れ、魚だの野菜だのを入れて叫ぶ。婆ちゃんはそれを引っ張りあげる。まさにネオレアリズモの映画の世界だった。
目に入ってくる色は建物の煤がかったような重いグレー。その暗さを吹っ飛ばすような人々のエネルギーに魅了された。オジさんオバさんの大声、人々の会話時の大げさなジェスチャー、走り回る子供達の元気、あと赤や青の派手な色遣いのファッション。そのコントラストが一段と人々のパワフル感を引き立てた。
当時スカッパナポリは観光客も少なく、きっと僕は目立つ存在だったのだろう。よく話しかけられた。「お前はチーノ(中国人)か?」とか「コリー(朝鮮人)か?」というもの。そして決まって「マンジャ カーネ?(お前たちは犬を食うのか?)」と聞かれた。これにはさすがに参ったが、彼らの中では犬を食う東アジア人というステレオタイプなイメージがあったのだろう。
「ソノ・ジャッポーネ(俺は日本人だ)」と主張してもあまりレスは無かった。せいぜい「マッキナ オンダ!(自動車のホンダ)」とか「ソニー!」とかいう程度。笑ってしまうが、当時の日本はハイテク(死語だな)のイメージしか無かった。というかあまり知られていなかった。
旅の楽しさは無計画の出たとこ勝負。まるで僕の人生みたいだが、遊びなのに時間を決められ集団行動に縛られるのはまっぴら御免だ。リスクを取りながらも地元の人々の中に飛び込んで、言葉は通じなくともコミュニケーションをとりつつ友達になるのが醍醐味だ。スカッパナポリでもそれを実行した。
地元のレストランで知り合った同世代の若者3人とカラオケに行って一緒にストーンズやツェッペリンを熱唱したり、ビーチで知り合った美人姉妹の家に呼んでもらってマンマの美味しいイタリア手料理をご馳走になったり、チネチッタ専属の高名なヘアスタイリストの爺ちゃんの家に泊めてもらったり、、、実はその爺ちゃんはゲイで夜になると豹変し、危うく貞操を奪われるところだった (^_^;)
ナポリは料理も最高だった。北部の手の込んだ料理と違い、南部は素材そのものでシンプルに表現したものが多い。直感で入ったスカッパナポリのレストランは僕がそれまで行ったイタリアンではベストオブベストだった。
丘陵にあるとても小さな店。親父さんワンオペの店だったが、何が食いたいかと聞くからトマト系のパスタが食べたいと伝えると、トマトだけのリングイネが出てきた。その美味いことと言ったら例えようがなかった。比類なき最強のパスタ。トマトなのに肉にも負けない旨味があり、塩だけでその旨味を引き出している。リングイネも完璧なアルデンテでそれまで東京の名店でも経験したことのないものだった。
壁を見ると、サインらしきものがたくさん直に書かれている。親父さんに聞くと、自慢はマラドーナのサインで、当時ナポリに所属していたマラドーナは常連とのこと。アルゼンチンの貧困地区で育ったマラドーナは、きっとスカッパナポリに来ると故郷を感じたのだろう。結局僕は親父さんの味と実直な人柄に惚れて数年間その店に通うことになった。
帰国してその小さなレストランのことをウルサ型の友人達に伝えると、何人かは本当にその店に食事しに行った。もちろん最高に美味かったというコメントをもらった。また裏路地にあるピザ屋も秀逸だった。ピザといえばナポリなんだから当然かもしれないが、どの店も美味かった。
特にマルゲリータ。生地がもちもちなのに表面はカリッとしていてトマトの甘みと酸味、そして地元でとれる生モッツァレラチーズの塩気の効いたクリーミーさが渾然一体となって薪火で焼き上がる。生地の縁はダイナミックに盛り上がり、焦げてはいるのだがこれがまた一段と風味を加える。
キッチンのお兄さんが威勢良く生地を伸ばし、タイムリーに焼き上げたピザを窯から引き出す。こっちも負けずに勢いで熱々を食す。地元ワインをがぶ飲みしながら。窯の前のピザ職人のお兄さんと目が合うと、よほど美味そうにしていたのか笑って「コジ ブォーノ?(そんなに美味いか)」とよく話しかけられた。
生モッツァレラについても付言しなければならない。ナポリから車で小一時間ほどのところにカゼルタという生モッツァレラでもっとも有名な産地がある。街道沿いに人工の沼地が点在し、水牛たちが顔だけ出している。なんとものどかで可愛らしい風景。そして街道沿いの無人販売店で出来立ての生モッツァレラを売っている。
地元の友人が買ってくれて車中丸かじりで食べてみた。まだほのかにあったかい。日本で売られているモッツァレラとは全くの別物だ。サイズも軟式ボールくらいはある。ふっくらしているのにしっかり弾力があり、実にみずみずしい。またベストな塩気が効いていて感動的な食体験だった。
話はそれるが、その時イタリア南部を車で案内してくれたのは同い年のイタリア人のジセッラ(♀)とシモーネ(♂)の2人。勤め人時代、会社帰りに小田急の車両内で知り合った縁だ。当時イタリア語を独学中だったので、車内から聞こえてきたイタリア語に反応し、2人に話しかけてみた。彼らはナポリにある歴史的名門校のナポリ東洋大学からの留学生だった。その後2度ほど居酒屋で飲んで彼らからイタリア語を教えてもらい、僕は日本語を教えてあげた。
それから約2年後、またナポリに遊びに行きたいと手紙を送ると(当時はメールは無かった)、今回は周辺の美しい街を案内するからとの返事が。そしてアマルフィやポルトフィーノといった海岸の街々を巡ったのをはじめ、彼らの実家にまで連れて行ってくれ1週間をファミリーと共に過ごした。生モッツァレラは彼らと共にアマルフィに向かう途中で食したもので、今もその味の感動はジセッラのマンマが歌ってくれたカンツォーネの思い出と共に在る。