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社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
このROCKY通信では、僕が社会起業家の育成・支援に携わっている中での経験や僕自身の人生での学びや考えをシェアさせていただいています。
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子供の頃から野生動物の番組が好きだった。今回、TVで南アメリカのど真ん中に位置し20万平方キロメートル(本州と同じ面積)もある大湿原パンタナルの老豹を追跡する特集を観た。老豹の名はピラータ。海賊という意味らしい。人間でいえば60才オーバー。パンタナルの食物連鎖の頂点に立つジャガーであり、かつての大ボスのピラータ。その無敵の強者も加齢とともに生存競争という自然の掟にさらされる。
孤独な晩年を必死に生き延びねばならないのを知り、改めて自然界の厳しさを知った。単独行動ゆえ、自分でエサを獲れなくなった時は死を意味する。人間は生きてゆく上での利便性や価値観の多様化は進歩しているが、その分昔より生物として弱くなっているのは間違いない。そんなことをつらつらと考えながら番組を観た。
ピラータは、しばらく獲物にありついていないのか空腹を抱えて川べりを彷徨っていた。そして、岸辺の草むらからいきなり沼にジャンプIN ! なぜジャガーが沼地に?何と3メートル以上ある大ワニ(カイマン種)に襲いかかったのだ。
水中で格闘すること数分、ピラータはワニの首を咥えて陸に引きずり上げた。見事な勝利。ピラータはその顎力とエッジの効いた牙でワニの首を噛み砕いた。しかしなぜ草食動物でなく、わざわざ外皮の硬いワニを捕食対象とするのか、間違えたら自分がやられるリスクのあるワニを狙うのかは不思議に思えた。
しかし!せっかくありつけたご馳走を、ピラータは息子のような年回りの若豹に奪われる。それも闘って奪われるならまだしも、自らの縄張りの草むらに隠しておいたワニを目の前で悠々と持ってゆかれるという屈辱。ピラータは情けない表情でただそれを見守っていた。
ジャガーは母親の元を生後2年で離れ、その後は単独行動で生きてゆく。他の野生動物との生存競争と並行して、ジャガー同士の生存競争がある。10平方キロメートルに2、3頭しか生存できないそうだ。生態系の頂点に立つ身としては、後者(同種の闘い)の方が辛い。
パワーに勝る若いジャガーに縄張りをどんどん侵され、我慢する日々。ピラータは自らの存在を消し去るかのような行動をとる。かつての大ボスにも訪れる老いの逆境。見ていて辛くなる光景だった。
何度か狩りに失敗した後、再度カイマンを仕留めてなんとか命をつなぐのだが、その苦しく辛いプロセスは生死に直結する厳しい自然界の規律そのものだった。そこには人間のような精神の疲れや心の病といったものはない。生か死かの単純な選択だ。たとえ苦難の日々でも生き延びる為なら、屈辱を忍んででも生き抜くことが宿命とも言える。
そしていつの日か、ピラータは若きジャガーにやられるのか、捕食対象のはずのカイマンに敗れるのか、空腹の果てに餓死するのか、、、自然死の無い世界でいったいどういう末路が待っているのだろう。
最後に、面白かったワンシーンがある。ジャガーのオス同士は生死をかけたライバルであり天敵なはずだった。実際ピラータはそのような境遇にある。しかし最近、若いジャガーのオス同士の関係性には一部の異変があり、縄張りや獲物をシェアするという行動が記録されているそうだ。過去のジャガーにはあり得ない現象だ。弱肉強食をベースとする野生動物の世界にも生き方の“Diversity”(多様性)が生まれるのだろうか。