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社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
このROCKY通信では、僕が社会起業家の育成・支援に携わっている中での経験や僕自身の人生での学びや考えをシェアさせていただいています。
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昨日、数年振りに下北沢に行ってみた。お気に入りの古本屋を覗きに行くのが目的だった。少なくともコロナになってからは行っていないので、多分3年ぶりくらいだろう。自宅から15分もあれば行ける街なのだが、そのダイナミックな変貌ぶりには驚かされた。まず駅自体が再開発されて近代化されていた。地下に軌道が敷設されたので、待ち合わせのメッカでもあったあの階段下の南口が無くなり、周辺は大きな広場になっていた。どうにも気になるので街歩きをしてみることにした。駅の南側も北側も殆どの店舗が入れ替わっていた。個人経営店舗もチェーン系の店舗も。僕が昔から知っている店は数軒しか残っていなかった。旧高架沿いも再開発され、なんだか下北っぽくないが超オシャレなショッピング施設もできていた。
いくつもある商店街の個人店は店主が高齢化し事業承継もままならなくなった事、既存の大手チェーン系店舗も下北族には飽きられていた事、トドメにコロナが追い打ちをかけた事、などが一気に店舗が入れ替わった理由だと推察した。昔ベーグル屋をしていた時代に下北の路面店に出店すべく日夜練り歩き回った時期が何度かあったが、とにかく家賃が高い!冷静に予測売上から逆算するととてもペイしそうにもない。それでもどうしても下北に店を出したい若い経営者やチェーン系開発担当者が無理して出店し、結局撤退する憂き目に合うのだ。しかしその繰り返しが、街に新陳代謝を促してきたのも事実だ。
下北沢という街は色々な意味で本当に面白い街だ。表面的には商業と住居の混在する準都心だが、“Diversity(多様性)”と“Generosity(寛容さ)”の同居するユニークな無二の街だ。世田谷区の街なのだがスノッブな住宅街ではないし、かといって下町というわけでもない。歴史的にアートや文芸、文学の香りのする個性的な人々も棲む。そしてそれを目指してまた同種の若者が全国から集まる。本多劇場やスズナリ劇場といった芝居小屋、Club CUE やSHELTERといったライブハウスが昔からあり、街の個性を特徴付けている。ライバルの自由が丘と違うのはそのあたりの「サブカル文化」だろうか。古着屋、古本屋も充実しており、「自分らしさ」にこだわる人々が集う。渋谷、新宿からも急行で10分もかからない。マス狙いの商業主義であるそれらに飽き足らない若者が集まる。周辺には大学が多数存在し、それも街の活気に一役買っている。
いつ来てもなぜかホッとする街だ。気取らずありのままの自分でいられるし、程よく人間味があり、サードブレイスとしては最高の街だ。20代の頃から感じていたのは、街の大人達が等身大で優しい人が多いこと。これは大事な事だし、今後もそうあってほしい。また整然としておらず路地が多いことも魅力だ。混沌感も街歩きの楽しさを増幅させる。僕は家族を持って足が遠のいてしまったが、独身時代から40年近く様変わりを見てきた。変わらないのは日中の元気な若者達と、夜の自由な大人達の街という点だ。
“MYシモキタ史”を辿りつつ、味わうようにして隅々まで街を回遊した。思い出深い路地、かつて寮友やGFとよく通った居酒屋、少し背伸びして1人で通ったバー、そして汗を流したボクシングジムも。今回、奇跡的に3軒だけ懐かしい店が残っていた。故・松田優作が贔屓にしていた伝説のバー“LADY JANE“、これまた伝説のクレープ屋“アンドレア”、そして若き日に胃袋を満たしてくれた“キッチン南海”。
路上で旧友に再会したがごとく、あまりに嬉しくなって“キッチン南海”に入った。午後3時半だったにも関わらず、定番のカツカレーを食べた。素朴で変わらない味。650円という優しい価格。オーナーコックのお爺さんはもう80歳で開業50年。カウンター7席だけの小さな店ながら、感嘆したのはお爺さんの調理技術。フライパン捌き、包丁捌き、揚げもの捌きから福神漬の盛り付けの捌きまでも魅せてくれた。他のお客さん達は誰も気づいていなかったけれど。「みんなちゃんと見てあげてよ!」と声が出そうになった。「街がすっかり変わってしまいましたね」と話しかけると、「近所に知り合いもいなくなっちゃったけど、もうちょっとだけ頑張ります」と照れ笑いを浮かべつつ答えてくれた。僕はこういうお爺さんを心から尊敬する。シモキタ最後の砦のあったかいお爺ちゃん、ぜひまた寄らせて下さいね!お元気で!