メサイヤコンプレックス_社会貢献のワナ | 【公式】社会起業家を育成するソーシャルビジネススクール 社会起業大学

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メサイヤコンプレックス_社会貢献のワナ

こんにちは。
社会起業大学 事業統括の瀬田川です。


このブログでは、
私が学んだこと、経験したことの中から、
自分らしく社会に貢献する生き方・働き方を自ら作り出す
ヒントになる情報をお届けいたします。

今回は、  

メサイヤコンプレックス  

についてのお話です。      


「私、誰かの役に立つことが本当に大好きなんです」
「誰かの幸せが自分の幸せのように感じるんです」

社会貢献に対する意識高い人は、本当に一生懸命で世の不平等や格差をなくすために、善意の意識を持って身をささげて頑張ってらっしゃいます。

これは、とても素晴らしいことだと思うのですが、
ごくまれに、上記のようなことを口にしつつもとても苦しそうに働いていたり、いつもイライラしていたりする人がいます。

このような方は、
表面的な笑顔とは裏腹に、

「自分がこれだけ自分を犠牲にしてやっているのに、感謝の言葉もない」

と陰で愚痴を言ったり、いきなり高圧的な態度をとって自分に対する服従を無言のうちに求めたりするのが特徴です。

皆さんの周りには、
そういう人いませんか!?


こういう状態のことを

「メサイヤコンプレックス」

というそうです。

ウィキペディアの定義によると

——-
メサイヤコンプレックスとは、
個人が救済者になることを運命づけられているという信念を抱く心の状態を示す言葉である。

狭義には誇大妄想的な願望を持つ宗教家などに見られる心理状態を指すが、広義には基底にある自尊心の低さを他者を助けることからくる自己有用感で補償する人々をも含める。
——-

とあります。

さらに概説を読むと

——-
メサイアというのは、一般的な日本語ではメシア(救世主)と言われるもののことである。

この心理が形成されるのは、自分は不幸であるという感情を抑圧していたため、その反動として自分は幸せであるという強迫的な思いこみが発生するとされる。

さらにこの状況が深まると、自分自身が人を助ける事で自分は幸せだ(自分には価値がある)と思い込もうとする。

このような論理になるのは、幸せな人は不幸な人を助けて当然という考えを自らに課す事で

「自分は幸せである、なぜなら人を助けるような立場にいるから」

と考えられるからである。

本来は人を援助するその源として、まず自らが充足した状況になることが必要であるが、この考えは原因と結果を逆転させている。

そうした動機による行動は自己満足であり、相手に対して必ずしも良い印象を与えない。また相手がその援助に対し色々と言うと不機嫌になる事もある。しかもその結果が必ずしも思い通りにならなかった場合、異常にそれにこだわったり逆に簡単に諦めてしまう事も特徴的である。
——-

とあります。

彼らの社会貢献とは、
自分の欠乏感を救世主である自分を(他人を利用して)創り出すことで埋めようとする行動です。


私の経験上、
こういう方の態度や振る舞いからはいい印象を受けることがありません。何か善意の押し売りをされているような居心地の悪い気分になるのです。


そうではなく、
自分も楽しいし相手も心地よい。
そんな社会貢献を仕事にしていけたらいいなと思います。

そのためには、
まず自分が満たされること。自分が幸せを感じることが大切なのだと思います。

皆さんは、
自分を大切にできていますか?


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