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【 ROCKY通信 】第76回 「李陵」 中島敦

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社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
 

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【 ROCKY通信 】第76回 「李陵」 中島敦

 

『李陵・山月記』中島敦 著 (新潮文庫)

 

高1の時に読んで以来、42年ぶりで中島敦の文庫本を手にした。まずは李陵を読んだ。中国文学をベースにした中島敦の作品は中国の古譚や史書をベースにしていて、読んでいてなぜか落ち着く。現国の教科書に山月記が載っていて心惹かれて何度も読んだ記憶がある。

 
今回読み直してみて驚いた。中国前漢の時代つまり約1300年前の物語なのだが、登場人物の生き様があまりに現代人の苦悩と一致していたからだ。中島が昭和に入って書き上げたことを割り引いてもその新鮮な驚きは隠せないほどだった。 

 

李陵

 

李陵は中島敦の最晩年の作品で、漢書、史記、文選といった古典をベースとして書かれた短編小説である。匈奴に対抗する漢の武将李陵、蘇武、文人の司馬遷の3人の登場人物の対比を通じた純文学であり人間学とも言える。前漢の時代、今のモンゴルから中央アジアを支配した匈奴に送り込まれた2人の武将と1人の文人はそれぞれ異なる運命を辿ることになる。

 

主人公の李陵は少ない兵で匈奴を一時的に追い込むものの結果的に敗れ、囚われの身となり捕虜として生きることになる。同じく蘇武もその1年前に捕虜となったのだが、2人のとった判断は異なった。そして結末も。李陵は戦略的に考え捕虜の身に甘んじつつもうまく立ち回り、隙あらば匈奴の支配者単于の首を取り、名誉の帰国チャンスを伺おうという決断をした。しかし単于に厚遇され恩義も感じる心境の変化もあり、その態度が徐々に軟化し、売国情報を流しているという噂が武帝の耳に入り、漢に残した家族は皆殺しにされる。 

 

蘇武

 

これに対し蘇武は捕縛されつつも、絶対に匈奴に帰順することはなかった。漢民族としての誇りを持ち漢の武帝一人を主君とした。それゆえ極寒の辺境のバイカル湖畔に蟄居させられ、飢え、極寒、孤独に19年間も耐え、その信念は微塵もブレることは無かった。もう一人の登場人物司馬遷は武帝に対し李陵を弁護したがゆえに、去勢の刑に処されるという酷い憂き目に遭う。人生の選択肢を懊悩の末、司馬遷は残された時間を大著「史記」の編纂に捧げることを決意する。

 

やがて時代が過ぎ武帝が亡くなり、李陵と蘇武に漢への帰国のチャンスが訪れる。その前に李陵はバイカル湖畔に蘇武を訪れているのだが、その時の2人のやりとりにおける李陵の内省、葛藤には読んでいて涙が出そうになる。李陵は蘇武に対し劣等感を感じる。志の小さな自らを恥じ入り、心の濁り、虚栄心ゆえにもう帰国できないと悟る。ある意味正直な人間と言える。蘇武は帰国令なぞ期待もせず北国の地に骨を埋める覚悟でいたが、偶然にも漢の役人にその生存を知られるところとなり、帰国を要請され堂々と帰国することができたのだ。そして司馬遷は大作「史記」を書き上げ、蘇武の帰国を前にしてこの世を去った。 

 

司馬遷

 

中島は各人の個性を史実も交えつつ際立たせているが、3人への明快な論評はしていない。好きなのが蘇武なのは読んでいて分かるが、誰が偉くて誰が偉くないとかの評価はしていない。多分中島は自身を李陵に投影しつつ、理想の人物として蘇武を描いたのではなかろうか。弱い人間として描かれているのは李陵だが、今の時代で望まれているのは一本気な蘇武でもなく職人気質な司馬遷でもなく、バランス感覚もあり論理思考もできる李陵だ。時代が変われば人物の評価も変わる。これはあくまで史実を交えたフィクションだが今後の我々の人生にも価値観の問いを与えてくれる。人間の本当の強さとは一体何だろう?と。君はどうありたいか?と。

 

自分も好きなのは蘇武だ。融通の利かない不器用な男だが、周囲の評価なぞものともせず、不利益が伴おうとも忖度せず自分の信念に生きている。不安に負けず、貧困に屈せず、孤独にも耐える。ただの意地張りではと思っていた李陵もその信念の強さ無欲さに揺さぶられ、最後はバランスを取りつつ理性的に生きている自分を恥じ入る。なかなか出来ることではないが、蘇武のようなタイプは現代においては通用するタイプではないし、周辺の人間にはきっと傍迷惑だろう。しかし中島同様に自分が憧れるのは間違いなく蘇武だ。残りの人生を蘇武のように生きてみたいものだ。

 

 


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