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社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
このROCKY通信では、僕が社会起業家の育成・支援に携わっている中での経験や僕自身の人生での学びや考えをシェアさせていただいています。
皆様の起業のお役に立てられましたら幸いです。
前週に続いて高校時代の友人の話を。K君とは高校時代の部活仲間だった。2人ともあまり熱心な部員ではなかったが共通の趣味のROCK談義を部室でしたり、レコードの貸し借りをしていた。彼は軽音部の活動もしており、学園祭のスターでもあった。
卒業後、音信不通だったが、20年?くらいしてフラッと東京のオフィスに立ち寄ってくれた。BAGEL&BAGELを起業して少し経った頃だろうか、当時自分が書いていたブログにフライフィッシングの話を書いたことがあり、それを目にしたからと。
K君は地元周南市(旧徳山)で1993年に起業し、コーヒー豆卸と直営カフェ、そしてネット販売をしている。昔から温厚でマイペースな人だったが、ビジネススタイルもそのもので、決して無理をせず着実な成長をされてきた。起業以来、実績を伸ばされ続けこのコロナ禍で最高売上、最高利益を達成し、この6月には萩市に、10月には山口市に2号店を出店される。僕がやった急展開(それでも投資家には遅いと言われていたが)とは全く異なるやり方だ。ティール組織に近いかもしれない。その特長は、
・社長も社員も人生を楽しむ(海外含め週5日釣りに行き、社内外も公認)
・お客さんとも半分友達のような関係性(卸先の事業者とも、店頭の顧客とも)
・社員とは半分仲間の感覚で、フラットな組織
・女性社員が多く非常に定着率が高い(社員の8割以上が女性)
・大量生産をせず、小釜で丁寧にローストされるコーヒービーンズ
・マシンを使わず丁寧に真心込めて淹れるハンド・ドリップコーヒー
・シンプルな店舗内装や商品パッケージ
・ドミナント戦略(県内出店のみ)
・SDGs的な社外活動として、「コーヒーボーイスカラシップ」を開催
K君が社員に繰り返し伝えることは次の3つだけ
“NOT TOO SERIOUS”(何事につけあまり深刻にならないように)
「自然か不自然か」(ものごとの判断基準1)
「美しいか美しくないか」(ものごとの判断基準2)
社員の良すぎる定着率について理由を聞いてみると、時間の拘束がないから、と即答。残業や休日出勤は無く、希望する休日取得も問題なし。産休も3年とかでも問題なし。本人は自分が釣りに行きたいから自然そうなると言うが、それがK君のイメージする理想像なのだろう。似た社風で有名なのがパタゴニアだが、創業者イヴォン•シュイナードの著書「社員をサーフィンに行かせよう」を読んで、「おんなじことを考えてる人がいるんだ」と思ったそうだ。また、ここ5年くらいコーヒーのサードウェーブなるトレンドがアメリカ西海岸から日本にも上陸してきているが、彼の店は創業時からずっとサードウェーブ。ポートランドやシアトルでサードウェーブが盛り上がっているのを見るにつけ、僕は「何を今頃言ってんだろう?K君は30年前からずっとサードウェーブだ!」と思っていた。
地元をこよなく愛し地元で起業したK君は、年間を通じて晴れ空が広がる瀬戸内周南地区の温暖な気候が好きだと言う。そんな彼が淹れてくれるコーヒーは、豆選定、ロースト、ハンド・ドリップで甘みが引き出され、冷めた後ですらコクがあり一切の雑味が無くて本当に美味しい。日本中から通販オーダーが入るのも納得だ。
K君の会社にはソーシャルビジネスの要素もある。知的障がい者の方々にコーヒーパックの製造を依頼したり、その方々に「コーヒーボーイスカラシップ」と名付けたプログラムを提供し、社員さんがコーヒーのドリップの仕方を親切に教え、習った彼らがイベントを開催するところまで見届ける。社員さん自体も、日々の店舗オペレーション自体が「コーヒー販売を通じた顧客の心豊かな生活のサポート」というソーシャルビジネスに参加していると思っているそうだ。地方発信の素晴らしいソーシャルビジネスの事例だと思う。
K君のコーヒーを飲んでみたくなった方はこちらからどうぞ
※サードウェーブ
スタバを中心とした深煎りコーヒーであるセカンドウェーブの後に来たコーヒーの新たなトレンド。比較的浅煎りだがコーヒーの繊細な味わいが楽しめ、また農園から中間業者をなるべく通さず商取引するので生産者を経済的に守る役割も果たす。ポートランドのスタンプタウンコーヒーが元祖とされている。
庭の草をむしりをしながら約50年ぶりにキタローのことを急に思い出していました。キタローといってもゲゲゲのではなく、小学3年生の時に参加した子供キャンプのC班長だった当時大学生のお兄さん。大分県九重連峰での1週間のキャンプは、初経験だったこともあり今も鮮明に記憶に残っています。
ある夕方、当番だった薪割りが終わり手持ち無沙汰になって何も考えずに大木の幹に鉈を振るって遊んでいました。するといつもは優しいキタローに本気で叱られた。「ヒロキ、この木だって生きているんだぞ。なぜ傷つけるんだ!」と。優しく大好きだったキタローに怒られてショックだった。そして一呼吸置いてなぜか目に涙が溢れこぼれ落ちました。今にして思うと、その時のキタローに愛を感じたからだったと思います。
その後1度キタローの下宿に手紙を書いて(多分初めての)、返信の代わりに電話をかけてきてくれたのを覚えています。今頃キタローは何をしているのだろう?もう70歳くらいのはず。それが原因とは思いませんが、僕は草むしりが好きではありません。どんな草にも役割があり、その生を全うしようとしているわけですから。そしてそれは良くも悪くも僕の組織観にも影響しています。
さあ今日も拳を上げて前進だ!