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社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
このROCKY通信では、皆さんが、人生やビジネスのヒントとなるようなお話をさせていただければと思います。
皆さんのお役に立てましたら幸いです。
先々週のことだが、地方行政の幹部候補研修をさせて頂いた。半数に及ばなかったが女性職員もおられた。プログラムの最終回のテーマはリーダーシップだった。対話がメインの授業なので、僕の方で「あなたのついてゆきたいリーダーはどんな人ですか?」というお題で、古今東西の約30名の物故、存命の偉人と言われる人々を列挙した。一番難儀したのは、女性の候補者が浮かばなかったことである。僕の浅薄な知識も一因なのだが、本当に書けなかった。日本、中国などは特に困った。洋の東西を問わず、人類の歴史は男性が世に出て社会を牽引し、女性はそれを守るもしくは陰で支える役割だったのだということをあらためて痛感させられた。上野千鶴子さんや田嶋陽子さんに叱られそうだが、今回あらためて本当にそれがよくわかった。
僕は自分が男尊女卑信奉者と思ったことは一度もない。しかし北九にルーツを持つ人間として、「九州男児」という妄想的な憧れは幼少時から持っていた。僕の解釈はシンプルなもので、「家族の為にも気張るけん、家外でだけちょいと男ば立ててくれんね?家内はかかあ天下でよかけん」というもの。生粋のフェミニストの人からすれば、家内、家外という発想自体が間違えやろうが!という話になるんだろうね。ここでコトの白黒つけるつもりはない。最近はLGBTQというジェンダー論におけるカテゴリーもしっかりと表出し、ますます簡単な話ではない。結局、皆同じ人間じゃないかという点に収斂するしかないしそれが全てなのだが、僕はそれぞれが持つ大切な役割はあると思っている。
主宰している社会起業大学には、コロナ後により多くの女性入学者が増えている。皆さん才気溢れ、「個」として自分の人生を真剣に考え、ソーシャルミッションを実現しようとしている方々だ。中には自分が女性であることに憤りを覚えている極端な人もいるが、多くは女性であることを肯定的に受け入れた上で、一度しか無い人生を社会良化に向け自分らしくコンプリートしたいと願っている人々という印象を受ける。是非とも応援したい!それが僕のソーシャルミッションだから。
話を戻そう。冒頭の研修の話だが、グループ討議をして頂くにあたりなるべく各グループに1人は女性が入ってもらえるよう事務局に配慮してもらった。リーダー論について赤裸々な議論をしてもらったのだが、非常に興味深くかつ示唆に富む内容となった。男性だけのグループだと、どうしても視点が「べき論」も含め偏りがちになり、議論が煮詰まるシーンも散見された。女性が入っていたグループは、男性とは異なる視点での問題提起もあり、笑いが絶えなかった。そこには幅が生まれ、僕の好きなロックで例えるなら縦ノリに横ノリが加わる感じだろうか。エリート職員の方々なので、そういう盛り上がりもありつつ最終発表のところはキチっと纏めて来られたが、僕は議論におけるプロセスの方に本質があったと思う。とても頼もしく感じた。彼女たちにはもっともっと「個」としての持論、意見を述べてもらいたい。
政治や経済の分野でも女性の進出機会は著しい、ダイバーシティという言葉が時代のキーワードなので当然だ。しかし聞けば女性ハンディの話が頻繁に出てくる。力を発揮したくてもなかなかできない環境、社会前提があると。男性中心の社会が大きく産業を発展させ時代を動かしてきた側面はあるが、その残滓があるのも事実だ。世事は大概トレードオフだから仕方ないとも思う。しかし今のような時代の転換期には女性の考え、意見が大事な触媒になる。繰り返される歴史の中で、女性の存在、意見こそがその起点、ベースになると思うこの頃だ。まずは「STOPザ・戦争!」だ。トランプを筆頭とする、世界の男性首脳陣では無理だ。これはWhat if ?だが、もし、もし今世界の国々の首相・大統領が女性だったとしたら、、、戦争を終結できるような気がしてならない。