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社会起業大学 学長の林 浩喜(はやし ひろき)です。
このROCKY通信では、皆さんが、人生やビジネスのヒントとなるようなお話をさせていただければと思います。
皆さんのお役に立てましたら幸いです。

若き日の宇野千代 晩年の宇野千代
山口の生んだ最も有名な文人、宇野千代センセイの恋愛論について書いてみたい。98年間の自分の人生を自在に生き切ったセンセイは、ネタの宝庫だ。しかし今回はずっと書いてみたかったセンセイの恋愛論だけに絞りたい。宇野センセイは4度の結婚そして離婚を経験された明治生まれの女傑。自叙伝の「生きて行く私」(角川文庫)によると、それ以外にも恋バナは尽きない。なかには不実の恋も含まれる。
好きになってしまうと突進せずにはおれない性質で、じっと相手の目をみてストレートに「あなたが好きです」と伝える。相手は落ちる。そして数年間の濃密な生活を共にし、尽くしに尽くし、そして終わりが来る。終わりの多くが、別れを切り出されるパターンだったようだ。

人生を分かち合った男たち 尾崎士郎(文士)、北原武夫(文士)、東郷青児(画家)
なぜ別れが毎回のように訪れるのか?センセイによると、燃えるような蜜月の日々にもいつかマンネリの影が忍び寄る。そしてその恋愛感情が切れる前に別れたと。「降りた」という表現で何かの本に書いてあった。結婚生活の谷間にさしかかり恋愛バッテリーが尽きつつあるのを自覚する時、相手もまた同じ気持ちであるものだと書いてあった。深いな、、、
反省する人ではないが、愛しすぎる故に尽くしすぎてしまい、それは相手を想う気持ちという形を取りながらその実自分がしたいことをしていただけだったと自らのエゴを認めておられる。また、一般論として結婚生活の危機の原因は相手側にあると誰もが思うが、「全ての原因は自分にある」と言い切っておられる。だから自分を変えない限り、同じことが繰り返されるとも。
捨てられ失恋しても恨むことはしない、深追いもしない。愛したという事実が残るだけで得をしたと考えてきたそうだ。なかなか言える科白じゃないと思う。美の鬼人、青山二郎をして「最も善くできた田舎者」と言わしめたセンセイ。あの口の悪い青山さんに賛辞をもらえるなんて(僕は賛辞と思っているが、、、)。青山さんを介して小林秀雄御大とも交流があったようで、名著「おはん」を褒められて大層嬉しかったそうだ。センセイはひょっとしたら小林さんにも触手を伸ばしていたのではないか、、、なんせ知性派のイケメンにもっぱら弱い人だから。笑
純粋、率直、正直。
自叙伝「生きて行く私」は僕が読んできた自伝の中では最高だと思っている。封建的で閉鎖的だった山口県からたまにこういう突拍子もない傑物が出る背景はよく理解できるのだが、あの時代に、しかも女性でというのがポイントだ。似た経験を辿った瀬戸内寂聴さんも姉のように慕っていたし、最近ハマっている小説家高橋源一郎さんも宇野センセイのことを大好きなようだ。そして僕も!

「生きて行く私」角川文庫