企業訪問レポート

日本理化学工業株式会社

当日は夕刻から激しい雨が心配されたが、訪問時間までは曇りで助かった。田園都市線二子新地という初めて下りる駅を背に、地図を片手に多摩川の土手をひたすら歩いて工場を目指す。多摩川の河川敷は広く、久しぶりに見るだだっ広い視界に暫し足を止める。気持ちの良い風景である。

見学場所である日本理化学工業に到着すると、既に大学スタッフが待っておられた。スタッフから今日の見学は別団体の十数名を合わせて、30名を超える見学者だと聞き、凄いなぁ〜と思わず溜息。その別団体の方々はバスで乗り付けていた。

時間も迫り、社会起業大学のいつもの顔ぶれが揃い始め、日本理化学工業の看板の前で記念撮影などしていた。時間となり、正門から入り口に向かうと、黒板にチョークで挨拶が書かれたウェルカムボードが出現。女子の誰かが思わず「かわいい〜」と叫んでいた。

中に入った雰囲気はなんだか昔の小学校と言った感じで、昭和30年代の創業以来50年の歳月が感じられた。2階に上がり、食堂のような会議室のような所に通され、会長のお越しを待つ。側面一杯の窓ガラスに、日本理化学工業の商品、ガラスに書けるチョークでしっかり落書き(?)された花や人や動物の絵に目が奪われる。こうしてみるとやっぱり小学校の教室を思い出す。

暫く談笑していると大山会長が見えられ、講話となる。講話中に後方で皆にお茶を配っている年配の方がいらっしゃる。随分とお年の方が働いているんだなぁと思っていると、すかさず会長が、「皆さんもご存知だとは思いますが、あの方が私ども理化学工業に最初に研修で働いて下さった二人の方のうちのお一人の方です。」とご紹介下さった。「当時15歳でしたから、今はもう65歳ですなぁ〜」と微笑みながら話された。障害を持ちながら50年間も働ける会社って? 

私は益々会長の話に興味津々となった。

先代から会社を引き継ぐ形で社長になった。当時、大学卒業間もない会長は、チョーク屋なんかになるつもりはなかったんですと、笑いながら語っておられた。

社長になった直後に近くの施設から、「ここから卒業して施設に入ってしまう前に、なんとか労働の喜びを感じてもらって卒業させてやりたい。」とひとりの先生が会社にやって来られた。「彼らは15歳で施設に預けられると、もう一生施設しか知らないで人生を終えてしまいます。研修と言う形でなんとか少しの期間でも働くことの喜びを味あわせてやってもらえませんか。」と言って来たのです。と、当時を振り返られながら語る。

何度もお断りしたが、何度も来られる。そのうち根負けして、少しの期間ならと2名の方を研修生として受け入れた。彼らの仕事ぶりは本当に真面目で、休み時間で休もうと言っても、手を止める事無くじっと仕事に取り組んでいる。その真面目さは並大抵のことではなかったそうである。

そして研修も終わりの日、従業員たちが大山社長を取り囲み、「あの子たちをここで働かせてやってください。15歳のまだ年端もいかない子達が、毎日一生懸命に仕事をしてくれました。あの子たちが出来ないことがあったら私たちが面倒をみますから、どうかお願いします。」と懇願したと言うのである。社長も従業員の熱いハートに押される形で、この2人を本採用にしたそうである。昭和35年のことである。まだ、日本の障害者雇用がその緒にもついていない頃ではなかったか。正に先駆的だが、社員皆をそうしなくてはならない気持ちにさせたのも、知的障害を持ちながらも、真面目に一生懸命働いた2人の方の存在があったればこそである。

そのお2人の植えた種が、今や全従業員77名のうち、知的障害者が57名という大変な雇用率を生んでいる。
会長は続ける。決していい話ばかりではない。その後に入社してこられた障害者の方は、なかなか職場で落ち着いて作業が出来ない方もいた。かなり優しい仕事をしてもらっても、うろちょろしてしまう。
なんとか彼にもうまく仕事が出来るようにする方法はないものか。そんな集中力のない彼でも仕事に前向きに取り組める方法はないものか?

そこで考案されたのが、作業工程の中での色分けだった。彼らは職場の通勤に際して、一ヶ月は親御さんと一緒に通ってくるのだが、その後は独りで出勤してくる。駅からかなりの道のりで、信号も幾つかあるのだが、ちゃんと出勤してくる。それはどうしてなんだろうと。そこで気づいたのは、彼らは計算もできなかったり、字も読めなかったりするが、色はしっかりと判別している。だから信号も見定めて渡ってこれるのだ。そこで、チョークの重さを一定にするための計量の作業を色分けでやってもらうことにした。あるチョークを作るためには青の重さの錘と同一にすればいい。このチョークを作るためには赤の重さを秤に掛けて、平行になる重さの原料を入れる。こうすると秤の数値が読めなくても、錘の重さが分からなくても、ちゃんと見分けがついて仕分けの作業ができる。

こうした工夫がラインの随所に見られる。チョークの長さの測定、何個処理したかを単語の暗記用のカードを使ったりと、会長曰く、彼らにやりやすいやり方を考案することが、生産性を高めることにつながると。1日の不良品による損失についても、1000本中50本が欠けや割れで駄目になりました。利益の何十%ですと言っても彼らにはピンとこない。そこで、1日の内損失が1万円以内なら少ない、1万円超えなら多いという基準で目標設定をしているそうである。彼らにも給料でもらっているお金で、1万円というお金の意味する物がどのくらい重いかはイメージできるというのである。

また、工場を見学させて頂いて驚いたのは、生産ラインに職員が1人もいないことだった。この現場には、彼ら障害者しか存在しない!! その様なことが何故できるかというと、同じ障害者の中でも、整理や整頓、清潔やしつけなどをきちんとこなせる障害者を5S委員と言う形で登用し、何か困った人がいたら相談にのったり、仕事で分からないことがあったら教えてあげたりと、職員の代わりとして働いてくれているのだそうだ。それについても会長は、企業では人件費がコストとして一番かかるものです。彼らが自ら率先して現場を引き受けてくれるリーダーになってくれることは、企業のコストダウンにもつながるんですよ。正に目からウロコだった。障害者のためということは、企業にとっても利益ということ。こんな分かってみれば簡単な方程式も、現実に実行するにはいまだ多くの企業の慣例の壁がある。その意味でも、日本理化学工業はソーシャルビジネスの先駆者と言えると思った。
1年に1度忘年会の折に、職場の各部署で賞をつくり、頑張った障害者を全員で表彰するのだそうだ。会長は言う。「彼らが一生懸命にやったことに対して褒めてあげる。すると喜んで仕事をしてくれ、企業としても能率が上がる。福祉という言葉の福は、ものに恵まれるということであり、祉は人の恵みが心に止まると言う事です。本当に障害者の幸せを叶えるのは、福祉施設ではなく企業だと思います。」

会長が彼らの幸せは企業が作ると仰る言葉の真実は、工場で働く従業員である障害者の方々が、私たち見学者に対して笑顔で発してくださった、「こんにちは!!」という屈託のない真っ直ぐな挨拶に、そのまま現れていたような気がする。私たち社会起業大学の見学者は、入り口に並べられている様々な商品を楽しそうに手に取り購入した。会長を囲んでの写真撮影の頃には心配された雨が降り始めた。冷たい雨であったが、日本理化学工業を後にする私たちの胸には、温かな彼らの表情がいつまでも残っていた――。



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